陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

交通事故のお約束

2008-10-22 | 政治・経済・産業・社会・法務



十八歳の夏、リハビリを兼ねて私はプールに通っていた。
ひとの混まない平日の昼間を狙って、私は通いつめていた。前日に五〇メートルの二〇往復、すなわち一キロメートル制覇をなしとげた私は自己記録の更新に夢中になっていた。自分だけに許されたコースがあって、誰にも泳ぎを遮られない。走るのは遅くても泳ぎだけは、さして速くはないが得意であった。

私はいまでも目的地にむかう道筋を、プールのコースのようなものだと思っている。がむしゃらに前にすすむだけで、余計な景色に余分な視線をそそがなくていい。不快な雑音は水が塞いでくれる。息継ぎに慣れたら、あとは単純な手足の運動の繰り返し。私でもできるスポーツ、だからひときわ夢中になっていた。

その日もプールに向かう道筋を、私はただまっすぐに自転車を走らせていた。そう、ただまっすぐに。脇目もふらず。正確にいえば、思考をどこかに逃がして。
だから、見通しの悪い四つ角から、乗用車が顔を出したことに気づかなかった。
私は自転車ごと道路に横ざまに倒れた。が、さいわいなことに、五体は満足で、さして血も流れていなかった。すこしてのひらを擦りむいた程度。だいじょうぶ、これならプールに通えそうだ。

ハンドルを握っていた男が慌てて、車から降りて、私を助け起こした。「だいじょうぶ?」と彼はたずねたので、「大丈夫です」と私は答えた。自分のからだの状態よりも、気持ちがプールへ向かっていた私は、よけいなことに関わりたくなかった。男は私の無事を確認すると、喜んだ顔をしてそのまま車に戻って、去っていった。

自転車のハンドルを握り直し、ふたたびプールへ向かったが、ペダルを漕ぐたびに、からだの節々が痛み、けっきょく私は引き返した。数日ほどであるが病院にも通った。
母はたとえ被害者がだいじょうぶと言っても病院にすら連れて行かないその男は、ひき逃げ犯だとなじった。そして、ナンバーを覚えていなかった私をもなじった。飛び出したのはあきらかに自分のほうだから、自分が悪いのだと思い込んでいた。痛い思いをしたうえに、善良なひとを救ったような気持ちになっていた私は間違いだったらしい。

じつは、私はその後、もういちど交通事故に遭った。
狭い道路で、前の車を追い越そうとした車に自転車が接触し、転倒したのだった。運転していたのは三十代の主婦で、彼女は心底申し訳なさそうな顔をした。保険も利きますし、病院で診てもらったほうがいいと薦められたのだが、警察沙汰になるのがいやでめんどうくさいので、断ってしまった。それを一種の好意かとうけとめられたのか、彼女は一週間後に電話をくださり、安否をきづかってくれた。しかも、お詫びにと菓子折りまでいただいてしまったのだった。

私はハンドルを握らない身であるので、歩行者に非があっても運転手の責めのほうが大きいという交通の常識には疎かった。事故の後遺症が忘れた頃にでるじんましんのように現れることを考えれば、やはり安易に「だいじょうぶ」と言わない交通教育は必要なのだろう。
だが、だいじょうぶじゃない、たいへんだと、安っぽく声をあげる風潮とのバランスがむずかしい。

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交通事故で、「大丈夫?」と聞かれたら……(エキサイトニュース 〇八年十月二十二日)



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