陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

いつか逢える神無月の巫女、いつも読める姫神の巫女に(三)

2020-05-24 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

ウェブノベル「姫神の巫女~千ノ華万華鏡~」は誰でもいつでも見られる状態なのですが。
できるならば、アニメ神無月の巫女と原作漫画の両方を先に観ておくほうがいいわけです。なぜならば、この小説は冒頭を読めばわかりますが、神無月の巫女のクライマックスのあの場面を彷彿とさせます。つまり、この小説を読んでしまうと、神無月の巫女世界のもつれる愛憎の謎が解けてしまうので、最終回での涙の感動が薄らいでしまうからです。真っ先にネタバレ書いてしまった自分が言うべき台詞じゃありませんが。

冒頭の死を賭けた誓い。
そこから一転、日之宮媛子(ひめこ)のお願いによって、疑似的に「私の一番大切な存在」であろうとする皇月千華音との、恋のからくり夢芝居がはじまります。さんざっぱら、戦士としての理性と判断力を鈍らせそうになる千華音に待ち受けていたのは思いもよらない真実で…。巨大ロボットのダイナミックな激戦もないのに、まあほんと、重くて息苦しい雰囲気ですね。

このたびの報でなにが驚いたかといえば。
まず、真っ先に漫画になったということ。アニメ制作者サイドが主導しているように見えたのと、ウェブ連載完結後から全く音沙汰なくて商品化しないものだと思われたからです。ウェブ掲載は純粋なファンサービスなのか、それともスポンサーを募るために公開したのか。全世界無料公開であったため、海外百合愛好者にも翻訳され、ファンの裾野が広がったことは間違いないでしょう。

ふたつめの驚きは、公然と「神無月の巫女のスピンオフ」と標榜していることです。
私はこのウェブノベルの存在を拙ブログに訪れた方のコメントから知りえましたが、その当初、同時期の『アムネシアン』同様に、神無月の巫女シリーズとして同類項とみなすことができませんでした。理解するのにかなり時間がかかりました。『アムネシアン』はコミックス第四巻になってやっと神無月の巫女の世界設計が組み込まれたことが明かされますが、『京四郎』ともども「神無月の巫女のスピンオフ」であると公式が明言していたわけではありません。時系列上の続編ではないけれども、スピンオフと譲歩したうえで名作詐欺を働く意図ははたして? ひめちか廃人ホイホイ案件ですわ、これは。

みっつめの驚きは、4月27日のツイッター上で発表された予告カット。
二人が仲睦まじく、ひとつの飲み物を共有。しかも柳沢監督はじめツイッター上などで指摘されているように、当世流行りのタピオカ(神無月の巫女のドラマCDで、乙羽さんがすすめるおやつにあったような気がするのだが…)。ということは、いかにも現代のJKさながらのキャッキャウフフ百合路線?! その後の第一話サービスショットのつぶやきでも、雰囲気が違う感じが…。




原案とされるウェブノベル「姫神の巫女~千ノ華万華鏡~」のトップページは、いかにもダークファンタジー色を前面に押し出しているので、このゆるゆりモードにはかなりのこと面くらいます。作品のキーパーソンであるソウマもどきはきっちり省かれるという忖度ぶりです。しかし、「神無月の巫女」がアニメ雑誌上の広報では男一人と両手に花の三角関係を装ったように、「京四郎と永遠の空」および「絶対少女聖域アムネシアン」が、ひめちかフェイクで客寄せしたように、「姫神の巫女」がその本編において真実楽しく、明るく、幸せなふたりの日常があるのかは、疑ってみないといけないのかもしれません。そう、ほんとうに幸せな時間が…。


*漫画「絶対少女聖域アムネシアン」&ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほか関連作レヴュー一覧*
漫画「絶対少女聖域アムネシアン」および、ウェブノベル「姫神の巫女」、そのほかの漫画などに関する記事です。

★★神無月の巫女&京四郎と永遠の空レビュー記事一覧★★
「神無月の巫女」と「京四郎と永遠の空」に関するレビュー記事の入口です。媒体ごとにジャンル分けしています。妄言多し。



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