陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

学ぶことの大切さを学ぶ

2016-02-16 | 教育・資格・学問・子ども
この二月は大学受験を控えている方には正念場ですね。
人生の正念場、ここ一番が踏ん張り時です。

二月下旬から国公立大学の前期日程試験がはじまります。
昔は二次といえば、前期後期だったのですが、いまは中期もあるんですね。もうかなり前になりますが、私もいちおう国立大学の現役合格を果たした人間です。当時、父が入院していて家計が苦しかったので塾も予備校も通わず、交通費を惜しんで自転車で往復二時間で高校に通っていました。受験の合間に、美術室でデッサンするのがゆいいつの楽しみだったですね。私のような独学者を支えてくださったのは、進学指導にかけてはベテランの高校の恩師でした。二次試験の小論文の添削指導をして下さったり。しかし、第一志望の国立大学ではなかったので、いまでも挫折感がおおいにあります。

きょう(二月一日)、テレビニュースを見ていましたら、私立中学の入試がスタートしたことが報じられていました。私は大学院まですべて国公立ですが、有名私立大学の附属中学校を受験される小学六年生の家庭教師をしたことがあります。つるかめ算というのが、文系人間にはかなり難儀でした。正直、連立方程式で解けばいいじゃないかと思ったくらいですね。でも、受験で学ぶのは問題が解けることだけではありません。

受験勉強をしているときに、いったい、こんな問題できたって、世の中の役に立つの、という疑問はかならずありますよね。私も資格試験の勉強をしながら、なぜ無謀にもこんな資格に挑戦しようと思ったのだろうか、などと自分の心を殴りつけていました。

有名校に進学し高学歴を得るのは、人生に箔をつけるため、いい就職先に恵まれるため。そう教える方もいます。それは否定しません。でも、学ぶことの本質的な意義はそうではありません。人生の節目に受験があるのは、よりよく生きるために要求される階梯があるからです。小学校ならできるはずの四則計算や漢字の書き取り、最低限の理科や社会の知識がないまま、高校や大学にあがると、その学力を取り戻すまでにかなりに苦労を要します。勉強することが許される時期にさぼって、後年にあなたが基礎学力を取り戻そうとするあいだに、他の人はさっさと先に進みます。失礼なことを言わせていただきますが、AO入試や大学院へのロンダリングなどで、学力に見合わない学歴を取得しても、あとから、それが響いてきます。

受験勉強で学ぶことは、目標達成までにどれだけ自分の自己管理ができること、脳に考えるための筋肉をつけること、その習慣を身につけることにあります。最近はインターネットでなんでも検索できますから、大きな辞書を手に入れて自分の頭脳や能力が大きくなったかのように錯覚しやすくなっています。でも、いざ、困ったことがあったときにどういう風に対処すればいいか、どのような法的根拠に基づいて、合理的に自己の権利と地位を守るべきか、相手が倫理的にまともな判断能力の持主なのか、筋道を立てて構築していくためには、地道に頭を使うトレーニングをしておかねばなりません。「机の上のお勉強しかできない人」というレッテルを貼りたがり、感情で脅迫するような方は放っておけばいいのです。

十代、二十代の若いうちにそうした素地をつくりあげるために、学校の勉強や受験というハードルがあるのではないでしょうか。
努力して得たもの、築いたものの価値を知っているのは同じように血の滲む努力をしてきた人間だけです。欲しいものを我慢して、いざというときに備えてきた人間だけです。一足先に楽な道を選んでしまった仲間が羨ましいと感じるかもしれません。自分は家庭や環境に恵まれないので、勉強に身が入らず不幸だと思われる方もいるかもしれませんね。でも断言させていただきますが、お金や時間をあり余るほど投資したからといって、ぜったいに成果があるとは限りません。早く動く自転車を与えられても、それを漕ぐのはあなた自身です。

何のために勉強したいのか。それを学んで、自分はどうなりたいのか。
もう一度自分の胸に問いかけてみてください。そのためには何を犠牲にせねばならないのか。誰かに言われてからではなく、自分で動かなければならないのです。学ぶのは人に勝つためでなく、自分の弱さに勝つことです。

最後に私ごとで恐縮ですが、昨年受験した士業の結果発表があり、どうやら合格していたようです。通算四つ目の士業の国家資格取得、昨年受験した三資格すべて合格。これまでのところ、市販のテキストのみで初学で合格できています。ちなみに私が独学なのは、偏骨なので、人様にものを教わるのが嫌なだけです。人それぞれ納得のいく方法があります。

正直に申し上げますと、合格したものの、事前に最善を尽くしたとはいいがたいですね。何度も投げ出そうとしたかわかりません。試験の当日朝までこのまま行くのをやめようかと思ったくらいです。お仕事が忙しくて時間がとれず、その試験で僅差で涙を飲まれた方もいるかもしれません。私も合格はしたが、果たしてその資格を名乗るに相応しい能力があるかと問われたら、自信がありません。たまたま運が良かっただけかもしれないですよね。でも結果は別にして、その資格を学ぶことによって、自分の業務に活かす知識を得ることができたのは良かったですね。

学歴も資格も、それを合格したからではなく、その価値に見合った努力を今後とも継続できるか、社会に役立てるのかどうかが大事ですね。私は学生時代を終えてから、かなりのこと不勉強に陥ったことがありましたので、なおさら、それを痛感します。遠回りをして辿り着いたからこそ見えてくることもあります。

まだまだ寒波が続きますが、受験生の皆さまのご成功をお祈りしております。


学べば学ぶほど、
自分が何も知らなかった事に気づく、
気づけば気づくほどまた学びたくなる。」

アルバート・アインシュタイン



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