今年の五月十三日は、母の日でした。
用事があって外出がてらに、日ごろの感謝をこめて、本人が希望することで、つつましくお祝いさせてもらいました。母の日といいますと、五月の第二週日曜日とさだめられていますが、それは日本と米国だけのことで、世界的にはいろんな日付となっているようです。
母の日にカーネーションを贈呈するのは、米国の女性が百年ほど前に亡き母を偲んで白いカーネーションを贈ったのがはじまりとされています。その亡き母である女性人権活動家が起こした「母の仕事の日」という活動は、南北戦争中に負傷兵の衛生看護にあたるために女性を鼓舞するためのもので、ひいては、それに影響を受けた活動家からは、戦争反対の意思表明として利用されたこともあったようですね。日本においての「母の日」の起源は、戦前の1931年から。大日本連合婦人会の結成を機に、当時の皇后の誕生日を「母の日」とさだめて設定されたもので、こちらは軍部の指導や国体に利用されたという向きがありますね。現在のアメリカ流にならったのは、むろん戦後からです。
母親の苦労を実感し、母に感謝を捧げるおめでたい日。
もちろんカーネーションではなくとも、本人の好きなものを贈ったりするのが喜ばしいのですが、私の母親は義理堅くて他人に贈り物はよくするくせに、自分ではあまりねだらないほうですね。たまに思い出したように贈り物されるぐらいなら、ふだんから、迷惑をかけないでほしい、子どもにはまっとうに生きていてほしい、と願うタイプです。数年前までは母との距離のとり方に難渋しましたが、今後はなるべく苦労かけないようにしたいものです。そうは思っていても、心配はかけてしまうものですが。私の実の両親は安定した勤めではありませんでしたから、たいへんな苦労をしながら、子どもたちを育て上げてくれました。その母の両親もまた、きまじめな分だけ苦い想いを味わわねばならなかった、悩み多い人生であったと聞いています。母の日や父の日は、一年にいちどきりではなく、毎日、あるいは数日おきでもいいので、自分の存在に連なる人に対する御礼を述べたい、と思う日ですね。自分の生きた年数分だけかけてしまった母への苦労は、数本の花束ではとうてい解消できっこないので、今後の人生をかけて恩返ししたいと望みつつ。
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サンドロ・ボッティチェリ『聖母子と洗礼者ヨハネ』(1468年)