陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「春のイシュー」(二〇)

2010-10-28 | 感想・二次創作──マリア様がみてる

ホットプレートが載せられてある円卓からは、香ばしい肉汁の匂いこもった熱気をあたりに放っていた。
その周囲には中身の抜けた二、三本の焼酎瓶が転がっている。中央が少しくびれている緑がかった300mlのガラス瓶は、どこか洗剤の容器に似ていなくもない。

高級な神戸牛で焼き肉パーティをしたふたりは、酒の肴にスルメを焼いてマヨネーズ和えにして食べていた。
景はレポートのこともあって嗜む程度におさえていたのに、聖ときたら次から次に杯を傾けて、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたのだった。

軽い気持ちで聖に乞われて、一献傾けたのがいけなかった。
ほろ酔い加減になれば、あの浅生メイについて何かしら洩らすとばかり見込んでいたからだった。しかし、この夜食を兼ねた宴会がはじまってすでに三時間が立つというのに、聖はくだを巻きつづけているばかりだ。いっそのこと、このまま酔いつぶれて眠ってくれたらいいのにとさえ、景はひたすら願ってやまない。

「はいはい、サトーさん。もういい加減にしないとね。酔いすぎて書けなくなるでしょ」
「らーいじょーぶ、だぁいびょうぶだって」

車内で本を読むと車酔いが酷くなるのと同じで、酒をたらふく飲んだ後にしかつめらしく文字などを書こうとすれば、急激に目が回ってしまうことがある。景がそのことに気づいた時には、聖はもはや手遅れだった。

「悪いお酒の飲み方すると、明日が辛いのよ。そろそろやめといたら?」
「ふぁーい」
「この砂が落ちきってしまうまで止めること。わかった?」
「ふぁ~い」

などと子どものように色よい返事だけはしつつ、その手は止まってなどいない。
景が卓上に置いてみせた砂時計の上半分がすっかり空になっても、聖の杯がいっこうに空になって乾くことはなかったのだった。

金網の下から電熱であぶられたスルメが、でんぐり返るように反っていく。
丸まったスルメを慎重に指先でつまみあげる聖の顔は、そのときだけ、あたかも別の仮面をかぶせたかのように、馬鹿にまじめくさっていた。景はその表情を盗み見てから、酒に口をつけるのをいっさいやめた。

聖はかなり早いピッチで杯を空けていた。
景が何食わぬ顔で、焼酎瓶の中に酢を流し込んだとしても、気づかずにうまそうに飲み干していそうだった。重度のアルコール依存になると、もはや酒の味を楽しむことよりも、飲むという行為を繰り返しつづけることにこだわるのだ。聖は底に穴の空いたバケツのように肝臓にありったけアルコールを流し込んでいるとしか言いようがない。

「そもそも、サトーさんはまだ未成年よね。もうそのくらいにしといたら?」
「へーき、へーき。七五三でお神酒は飲むし、冬には甘酒だし、ミサでは葡萄酒がふるまわれんだから。お酒は乙女の嗜みってことだよ~ん」

すでに成人式を終えた景に比べても、聖の飲みっぷりは凄まじい。
教会の儀式とやらで、参拝者たちがめいめいに銀皿の上に載った小口のワインと、パンの一切れを口にするのを聞いたことはある。しかし、まさか、リリアン女学園の卒業生すべてが、あの底なしの飲んべえになるとは思われない。

景は一瞬ばかり、この友人が敢えて酔った振りをしてみせたのではないかと、考えた。
泥酔したかのように見せかけて敵の急所を衝いてくる拳法のように、聖はなにかを仕掛けてくるのではなかろうかと。だが、その思惑はまったく外れていた。心臓が焼けつくかと思うほどしこたま強い酒を浴びている聖は、景を巻き込んで酔わせようとすることもなければ、たちの悪い酒徒のようにふざけて絡んでくることもない。素面の状態のほうが、よほど危険度は高かったといっていい。




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