コロナ騒動のために撮影が中断し、今年の二月まで放映延長されていた異例の大河ドラマ「麒麟がくる」。戦国から織豊政権時代にかけて綺羅星のごとく台頭しては消えた武将たちのなかでも、とりわけ、三日天下としてこき下ろされた明智光秀を主人公とした意欲作でした。視聴率もよく評判も上々だった模様。光秀ですから、自然とクライマックスがあの本能寺の変になってしまうわけで。
大河版の明智光秀といいましたら、私のなかでは1992年「信長」におけるマイケル富岡、もしくは2014年の「軍師官兵衛」における落語家の春風亭小朝が記憶に新しい。とくに後者は、光秀の謀反の理由を「信長が天皇制を否定した」こととしていました。光秀は朝廷を重んじ、そもそもは足利将軍の重臣だったわけですから、筋金入りの保守派なのです。
「麒麟がくる」でもやはり、光秀個人の美学こそが、主君に刃向かった主因とされていたようで。光秀の前半生は不明点が多いながらも、もともとの主君であった斎藤道三親子きょうだいの反目や、国からの追放、足利幕府の権威の失墜などなど、時代の変わり目におかれても、仁義忠孝を貫こうとした生き様が地味ながら丹念に描かれていました。
光秀は本能寺の変の直前、信長に所領を召し上げられ、毛利討伐に成功したらそこを与えるとけしかけられていました。明日から給料払わないよ、社宅からも追い出すよ、欲しかったら新規に契約とってきな、というわけです。こんなこと言われたら、どんなに忍従のあるサラリーマンだって、そりゃ社長を殴りたくなるでしょう。ブラック企業もいいところです。光秀が接待をしても、信長はイチャモンをつける。暴力をふるう。光秀のリサーチが足りなかったのかもしれないけれど、信長のことだから気が変わって正反対のことを申しつけていたのかもしれません。
本能寺の変がドラマでなんどもなんども再演される裏には、日本のしがないサラリーマンたちの悲哀があります。カリスマ性はあるが強引な独裁者への批判があります。光秀は信長を倒し権力を乗っ取ろうとするのですが、根回しが浅く、他の大名の尽力を得られませんでした。あろうことか、娘婿である細川忠興にすら裏切られます。そして、秀吉軍が大挙して押し寄せてきて敗北、残党狩りの農民に討ち取られるという無残な最期を遂げます。やがて、関ヶ原の合戦に乗じ、夫の不貞を嘆いてキリシタンになった細川ガラシャの悲劇も、それに端を発しているに違いない。
光秀の敗因は皮肉なことに、その右翼思想であったとも言えます。
明智光秀の先例となるような武将は、いくらでも歴史に見出すことができます。たとえば源義経、後白河法皇に癒着しすぎたために兄の樹立する武家政権と対立してしまう。楠木正成も後醍醐天皇擁する南朝派であったので滅ばされます。世間の大半は武士が支配する世の中を望んでいたのに、旧態依然とした王朝支配への回帰を望んでしまった。王政復古の明治維新が到来するまで、明智光秀は評価されえなかったでしょう。
もし幕末に生まれていたら、勤皇の志士として名を馳せていたでしょうに。
徳川政権瓦解を促し、天皇を樹立した維新政府が成り立ったのは、もはや武士のような人海戦術的な戦争や閉鎖的な外交、経済の再建が成り立たなくなったがためです。銃剣という平民でも訓練すれば使える武器や、大砲のような近代兵器によって、戦争が武士だけのものではなくなってしまったから。
悪く言えば、光秀は計画性のない革命を起こしてしまった愚策の人物。
よく言えば、こんな恐怖政治のリーダーはおかしいよ、と命を賭して異議申し立てをした人物。しかし、光秀なかりせば、秀吉の天下統一も、さらにはその後の家康の江戸幕府政権樹立もありえなかったでしょう。江戸幕府は二百数十年もつづき、身分制度の固定はありましたが、幕末まではさほど大きな戦争はなく、海外からの脅威もなく、豊かな文化が花開いていた時代です。光秀はそんな安定した時代への道を切り開いた人だとも言えます。もし彼が仕えていたのが、家康だったならば、それなりの大名になっていたかもしれません。事実、光秀の重臣である斎藤氏の娘が、あの家光の乳母の春日局なのですから。
信長に寵愛された宣教師ルイス・フロイスの書簡によれば、光秀は狡猾で油断ならない男だったと評されています。しかし、歴史上の人の評価なんてわからないものです。利権におもねる人物からすれば主君の仇は悪く書かれてあたりまえ。敗軍の将は惨めに演出されるものです。
しかし本能寺の変からすでに五百年も経つ今、我々の前に視覚化されるドラマの光秀は、やや臆病さのある面も描かれていますが、上司の命令に卑屈に耐えている寡黙な部下という印象です。年貢の取り立てには寛容で領民には慕われていたとの指摘もあります。光秀を偲ぶまつりや遺跡も多い。名のある書き手が残した伝記よりも、口頭で伝えられている善政こそが、その人の本質を語っているのではないかと思われるのです。
令和の英雄は、天下統一の武将でも知略に長けた名軍師でもなく、ただひたすら庶民の暮らしをまもり、礼節を重んじた人物。そんな明智光秀像をあらたに打ち立てたドラマは、数世紀ものあいだ報われなかった歴史の解釈をひっくりかえし、その名誉を回復しえたのだと言えましょう。
しかし、我々令和の労働者はさすがに光秀のような仕打ちは許されていませんので(苦笑)。
ブラック企業や上司がいれば、その不当性について法に照らして認識するとともに、なんらかの社会的制裁をうけるような取り組みが求められるでしょうね。雇用者の心身の故障を誘発するような働かせ方は断固として許されるべきではありませんから。
(2014年9月12日記事を加筆修正して再掲載)