志摩子はその二人に我関せずで、紅茶をひと口飲み干した。
空いたほうの手を上品にカップに添え、底を支えながら飲むおしとやかな姿勢が、いつもながら様になっている。あれは茶道をたしなんでいるからこその美しい所作なだろうか。祐巳もならってみたいのだが、どうやっても、傍からみたら、たぬき顔のぽんぽこが、ぽぽんと鼓を打っているような、どこか間抜けなしぐさに見えてしまうわけで。同じ制服を着ているとはいいつつ、美貌の格差社会は厳しい。
「そういうのって、いいと思うのよね」
「は、なにが?」
由乃の指で、口がへの字にひろげられたままの祐巳がおかしな顔で振り返った。
「ほら、私ね。年の離れた兄だったし、近所に遊び友だちもいなかったから、そういうの慣れていなくて」
言いながら、志摩子の胸にはほろりと苦いものがこみ上げる。
遊び友だち、いなかったかしら? いたような。そう、やんちゃなあの子、言ってくれたわ。──しーちゃん、あたし、大きくなったらこの国を飛び出して、もっと広い世界に行くの。日本よりももっとでかいところへ行くの。しーちゃんも、そうしよ──って。彼女はもうあの約束を忘れてしまったのかしら。それとも、それは世界の幅だとか、自分の指先の届く範囲だとかを知らない、子供ながらの夢想だったのかしら。
「ああ、祐巳さんは慣れっこだもんね。双子に近い弟さんもいるし」
「たしかにおかげさまで、女子校エスカレーターなのに、男女問わずあんまり尻込みしないかなぁ」
姉の買い被りかもしれないが、祐麒は自分よりは文武両道だし、男子校生活でもたくましく育っているようだ。なにせ、先輩というのが、あの曲者の柏木さんだったのだから。それにしても、家に年頃の男子がいる日常といない日常では、ずいぶんと異性に対する目が異なるのだろう。祐巳がまっさきに思い浮かべたのは、やはり祥子さまのお顔である。
「由乃さんは、けっこう、初対面の方にはシャイなのよね。一人っ子だからかな。打ち解けてくると、変わるけど」
「あー、鋭い。それ、あるわー」
ぽん、と手を打って、指さす由乃さん。
ほんっと自分が褒められる言葉には敏感に反応してくれる。ものすごい自分大好きだな。まあ、そこが由乃さんらしくて、おもしろいんだけどさ。
「えー、そうかなー? 去年のクリスマス会の妹オーディションで、けっこう下級生に駄目だし連発してなかったっけ?」
「祐巳さんてさ、そーいう、私の恥ずかしい歴史ばっか詳しいのよね。祐巳、恐ろしい子! もっと、人間の美点をしっかり見つめないとだめよ」
「由乃さんにその言葉、そっくりそのままお返したいよ」
祐巳流のやんわりとした皮肉。由乃はすでに慣れっこになっている。この二人はこういう絶妙な応酬が楽しい間柄なのだ。志摩子はまたしても微笑んだ。
「やっぱり、そういうの、いいと思うのよね」
「志摩子さん?」
「山百合会ってね、リリアンだとどこか教会みたいにいかめしくて、聖職者の見習いみたいな集まりだと思われてきたじゃない。そういう雰囲気がやっぱりね、威厳を保つにはよかったけれど、人を遠ざけてきたんじゃないかって思ったりしたの」
「志摩子さんてさー、お硬いヒトだと思ってたけど、意外と予想外なこと言っちゃうよね。私、志摩子さんのそういうとこ好きだけど。あれだわ、それ、やっぱ白薔薇の伝統なのかな?」
「ああ、たしかに…」
祐巳の頭にはある御仁の顔がつぶさに浮かびはしたが、その名を口に出すのだけは控えた。
「山百合会がというかね、うちがそういう考えなの。最近ね、うちのお寺も体質が変わりはじめていて。昔みたいに檀家頼りでは寺の経営も成り立たないの。お坊さんは待ってるだけじゃ駄目、自分から街へ出歩いて、悩んでる人、困ってる人の助けにならないと難しいんじゃないかって。ほんらいの聖職者ってそうよね。イエス・キリストも粗末な着物をまとって、土地を練り歩き布教に勤めていたわ。鎌倉時代の新仏教を興した流派にしてもそう。うちは古くからあるお寺だけれど、由緒正しき名刹だとか、文化財があるからとか、そういう物的財産だけではお寺はもうやっていけないような気がするの」
訥々と語りだした志摩子の力説に、祐巳も由乃もぽかんとしていた。