陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「てのひらの秋」(四十四)

2009-08-03 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは

小さなひとりがいなくなると、浴室が急に静かになった。
しかし湯船のなかは、残るふたりには急速にせまく感じられた。ふたりが浴室で夜を共にするのは久しぶりのことだった。フェイトはなんとも気恥ずかしく落ち着かない様子だった。なのはに裸を見られても動揺しはしないけれど、情けなく揺れている今この気持ちを悟られてしまうのが、恥ずかしいのだった。フェイトはこのそわそわした気持ちを、今日の終わりまで持ちつづけざるを得ないだろう。

ドアの摺りガラスに、バスタオルでからだを拭っている幼子の裸がぼんやりと映っている。
脱衣室からは湯気のたっぷりと籠りきったこちらはあまり見通せないはずだが、なのはは広い浴槽をつい、と泳いで、フェイトの隣に肩をならべた。向かい合ったままよりも、声量を抑えられるからだった。

「ねぇ、フェイトちゃん。どうして、きょうはヴィヴィオの粗相叱らないの」
「そ、そう? いつも、こんなものだよっ?!」

なのはの指が、つつ、と太腿を滑っていく。フェイトの顔がまたいちだんと火照りあがる。上ずってしまった声は、ひときわ高く、熱っぽい浴室の天井で跳ね返って降りてきた。

「ふぅん、そうかな」

いささか大仰な作り笑いで言い繕った感のあるフェイトに対し、なのはは瞳を凝らしてみせる。

昼下がりのレンタルビデオ店での一件は、すでに報告したのだ。ただし、ある一点を除いてだ。
うっかりフェイトの勘違いからヴィヴィオを叱りつけたことは、アルフとザフィーラとの執りなしによって、巧みに伏せられた。フェイトがヴィヴィオの湯船でのいたずらを甘受しているのも、そのためだ。
ヴィヴィオは他の大人に叱られたことを根に持って、なのはママに言いつけて泣きつくような子どもではない。けれどフェイトとしては、ヴィヴィオの無邪気ないたずらが、じつはしたたかな報復活動ではないかと恐れているわけだ。

であると同時にフェイトが恐れたのは、あたかもこれからは大人のお話時間だからと言わんばかりに、なのはがヴィヴィオを体よく追い払ってしまったことだった。
いたずらで湯船で、もしくはこの家の庭先のビニールプールで、ヴィヴィオがなのはやフェイトに水鉄砲を向けたことがなかったわけではない。でも、それは顔に向けてではなく胸元あたりや腕を狙ってと教えていたし、なのはもお返しでふざけて撃ちこんだりしていたものだ。
だが、さっきのほんのすこしだけあの片方の紅い瞳に闘志をこめたように見えた、あのヴィヴィオの目つきの強さが、フェイトの脳裏にはこびりついていた。まるで、あれは母親の愛情を一心に注がれた子どもが、その愛情を他の兄弟姉妹や、もしくは母親の恋人にとられてしまうのを厭って、必死に抗おうとするときの目つきだった。

なのははヴィヴィオのそういう反抗的な視線を、そよ吹く風のように相手にしていないのだった。
機動六課新人時代のティアナ・ランスターがいい例だったが、十代前半にして航空教導隊で教鞭をとる高町教導官に対して人を喰ったような態度で接する教え子は多かった。
そもそも、なのははあの聖王のゆりかごにある玉座の間で、大人に化身したというヴィヴィオと差し向かって拳を交え、魔砲を撃ちこめあっていたのだ。ヴィヴィオの反抗に対しての免疫ができがあがっていないわけがない。

なのはとヴィヴィオがささいなことから口論となって、ヴィヴィオが拗ねてしまい、なのはも口を閉ざしてしまう家庭内の冷戦状態に接するたびに、フェイトは独りおろおろ取り乱してしまうのだ。そのうち、そんな落ち着きのないフェイトが気の毒になったのか、いいかげん意地を貫き通すのも潮時かと悟ったのか、たいがい、どちらかが折れて仲直りしてくれている。

「あのときの殺気立った、けれども、自分のなかにふくらむ憎悪をどうしようも止められないくらい、かわいそうなヴィヴィオに比べたらね、いまのヴィヴィオなんて、いくら拗ねてもふくれてもかわいい」

なんのことはないのだと笑みまじりの表情で受け流すなのはを、フェイトはやはり強いのだとあらためて感じた。
今だけ存分に甘えてほしい、でも親に頼りきってしまわないくらいの判断力は育ててほしい。成長に必要な喧嘩ならば、いくらでも胸を貸す。子どもを引き取るのは内心不安だとこぼしていたのに、いつのまに、肝が据わってきたのだろうか。

老い先短い人間のように始終世の中に対する鬱憤を愚痴りつづけているような大人のいじけた怒りなのではなく、経験の少なさがそうさせる、どこか不器用ではあるが弾ける若さに任せた子どもらしい憤りというものを、親というものは微笑ましく受けとめるべきかもしれない。頭では本で読みならったかのごとくそう整理できても、いざとなれば、そう振る舞うのが難しいのがフェイトだった。大人の、年上の度量を示そうとして課した目標につぶされてしまうのだ。子どもにとってどんな大人がいいのか、なんて決まった答えなんてなくて、自分で見つけていかねばならないのに。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「てのひらの秋」(四十五) | TOP | 「てのひらの秋」(四十三) »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは