古いブラウン管のほうには、花嫁の幼年時代が映しだされた。
歩行器に支えられているつなぎの服を着た三歳。ブランコに乗ってあそぶ幼女。ランドセルを背負って小学校の前に立つ少女。受賞楯を手にして優雅に微笑んでいる中学生。美しさにさらに磨きがかかった高校時代。そして、アイドルデヴューのとき。あのバックダンサーのなかにいたひとりがあたしだった。
ひとりでに拳がふるえていた。
ぎりぎりと噛みしめた奥歯が無性に痛い。今のあたしはどうだ。湿気でヘアスタイルはぐちゃぐちゃになりかけてる。濡れた縄みたいにもつれそうなツインテール。マニキュアは剥がれかけてて、化粧品は試供品か、そこらのドラッグストアで買った安物ばかりだ。
「おめでと。しずく…幸せにね」
白い息を吐くと、透明なてのひらが白く縁取りされていた。
そこにいたことを誰かに知らせるような合図のように思われて、慌てて手を放す。ガラスにつけたあったかい指の跡が、寒気に消されていくまで、じっと立ちすくんでいた。そう、それが消えたらここを立ち去ろう。そう、決めていたのに、足はなかなか動かなかった。透明なもみじのステンシルがウィンドウガラスにいくども現れては消えていく。
よっしゃ。こんな日はヤケ歌にかぎる。でも、カラオケに入るには懐がさみしい。
背景のブラウン管に映る数年前のアイドルのバックダンサーたちは、今はあたしの引き立て役だ。あたしはテレビの前で、ひとりでに歌謡ショーを開いた。雨脚は鈍くなっていないのに、この界隈はそこそこ人通りは多い。だけど、誰もあたしの歌声に聞き惚れて、足を止めてくれる人なんていない。みんな、怪訝なまなざしをあたしに投げては遠ざかっていく。
でも、それでもいい。
こんな悔しまぎれのがらがら声で歌ったショーなんて、見られないほうがいいから。どうせ、ゴシップ紙のカメラマンですらあたしのことなんて、追いかけちゃいないんだから。
ミス・レイン・レイン
雨だけが君の友だち
こころが乾いたときには
いつも側に優しく落ちてくる
ひとしきり歌い終えると、喉が痛くなった。
あたしは軒下から出て、雨水で乾いた喉を潤した。耳がおかしい。いつもなら自己管理につかって、飲料水だって硬質百パーセントの天然水しか飲まないのに。あたしは、もうやけっぱちだった。
きっと、あたしはあの古いブラウン管みたいに、そのうちモデルチェンジで捨てられていく運命なんだ。あのオールドタイプですら、ゴールデンタイムの番組で、正面どアップのいいとこ撮りで映されたことなんてなかったのに。新型ディスプレイに満面たる笑顔で踊りだし、歌い出したかつての養成所同級生は、とてもきれいで、いま最高に輝いてみえた。
悔しさのあまり、じんわりと涙が滲んできた。
壊してやりたい。あの向こう側の世界を。そう思ったところで、できるほどの勇気もなかった。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」