
拙所のテンプレートは年がら年中秋模様なのですが、いま裏側では桜が花らんまんと咲いています。
ふだんは陽まわりいろと水いろしかない編集画面のパーツの色が、桜いろも選択できるのです。これが、かなりお気に入り。
以前から、せめて季節ごとにテンプレは時季にあわせて変えてみたかったのですが、気に入ったのがなかったのですね。桜のテンプレはあるのですが、一面ピンクではなくて、地が空いろでしたり、白でしたりで。いまの赤地に白抜き文字の仕様に耐えうるものがないのです。
ですので、この仕掛けは嬉しかったです。脳内ブログなんぞ表示されて(裏にもあるのに、表にも出したのは訪問者のおもてなし用なんでしょうけれどね)いらついていましが、これは感激。
ちなみに、クリスマスヴァージョンというのも、あったそうで。四月いっぱいのサービスということなんですが、変更しなければずっと桜いろで維持できるらしい。
ブログの見える部分はプラグインを学べばかってに自分でテンプレつくって編集できるようですが、見えない部分はフォーマットを使用するしかありませんものね。機能自体の不備もあるけれど、裏側のデザインが嫌で、不必要なものが見たくなかったという理由で通いづらくなった場所もありますね。
桜のブログパーツも開発されたそうです。他のブログサービスでも使えるそうです。詳しくはgooブログパーツBlogのこちらの記事を参照。
にしても、gooはブログパーツの競合を避けるのか、対応パーツを限っているのがなんとも…。
桜の花びら降り注ぐというよりは、春霞がかかったようではありますが。月蝕ブログパーツとおなじ原理ですね。
以前に紹介した楽天のムービーメール(〇八年一月十八日の記事を参照)みたいな、枝が揺れて花弁がぱらぱら舞ってゆく、しかも、和風のBGMが流れながらというのを期待してしまったのですが。
そういえば、最近はブログパーツでペットが飼えたりするみたい。昔はやった、たまごっちみたいなものでしょうか?
こむまりん様いわく、ブログは自分の脳みそのなかを見せたものだと。おっしゃるとおりですね、思考の垂れ流しなんです。ほんとうに謙虚なひとは、無駄なことはいいません。
ブログとはまさに思想の家、認識の部屋。電車に乗り合わす人間が名知らずの寡黙な大衆であるように、ネットの情報の海だけを渡りあるくうちはただの匿名の発言者にすぎません。ところが、虚構であれひとつの名を語り、あるドメインに住まうとき、ひとはそれに対し現実の家以上にふしぎな執着心をみせてしまうことがあります。電気がとだえれば消えてしまう夢の土壌なのに。
その土地が豊かなのは多くの足跡が残ったからか?どこかから話題の種が飛んできたからなのか?肥料をいれ土地を耕すのは、いったい誰なのだろう。
部屋のなかを美しく飾る壁紙をデザインすることで、生活と芸術が近づくことを慫慂したのはウィリアム・モリス。その理想が電子世界で実をむすんだのが、現況のブログパーツの氾濫だといえそうです。さて、手仕事のものづくりの喜びを称えた、モリスははたしてこの世界に生きていたらどう思うのでしょうか?
在宅しても、お花見気分。
でも、やはり、桜は実物を眺めるのがいちばんですね。街路にも、庭にも、桜以外に花開いた春のいのちがあります。
日本のブロガーは1,300万人、人口の10%まで増えているようです。
それぞれのblogが個性で、本人の感性なのでしょう。
デザインや色彩が気に入っても記事の内容が肌に合わなかったり、デザインにまるで気を掛けてないblogでも記事内容だけに魅力を感じたり、現実の人づき合いと似ているところがありますね?
ただまるで本人の記事が見えないblogは寂しいですね?パーツや広告だけを貼ってるblogもそれはそれで本人自身なのでしょうけれど・・
公開している以上自己満足だけでは続けていけないでしょうし、読者有ってのblogとも感じます。
>日本のブロガーは1,300万人、人口の10%まで増えているようです。
それぞれのblogが個性で、本人の感性なのでしょう。
失礼ながら。ブロガー人口が日本人の一割とのことですが、ある統計によれば日本のブログの四割はスプログ、すなわち他人の記事をコピーしたり、どこかの情報サイトの丸写し(タイトルなど部分的に変えてごまかしている)して、不正にGoogleのページランクを釣り上げている偽ブログと言われています。また、個人が複数のブログを運営している例もありますし、実際放置されているブログもありますから、この数字あてにしていいのかどうか疑問です。
にしても、このブログ人口の広がりは、いちブロガーとして喜ぶべきなのか迷います。社内のPCから仕事をさぼって更新しているひとだっていますから(苦笑)量が増えても質がいいのかはわからない。似たようなものを書いている場合,必然差別化が必要となりますし。それは自分としても言えます。
>デザインや色彩が気に入っても記事の内容が肌に合わなかったり、デザインにまるで気を掛けてないblogでも記事内容だけに魅力を感じたり、現実の人づき合いと似ているところがありますね?
ブログ本体の中身もそうですが、私はコメント対応のしかたも見ますね。ていねいにされている方は好感いだきますし。自分も見習わなくちゃと思いますが、なかなか(苦笑)
記事については、ものの感じ方とか思考が似ているなど、相性でしょうね。で、その相性も誰かにおしつけれるものでもないと。逆にうちと一緒にされて迷惑だった方もいらっしゃったでしょうし。
>ただまるで本人の記事が見えないblogは寂しいですね?パーツや広告だけを貼ってるblogもそれはそれで本人自身なのでしょうけれど・・
広告は、たとえば企業関係者のブログで、自社もしくは取引先の商品サービスを紹介しているようなものなら許せますけれどね。あと、ちゃんと使用実績にもとづいて商品評価をしている消費者の記事ですとか。
パーツは私もブログが重く見苦しくなるので基本的に貼付けないですが、愛用している方は自室にポスターや壁紙を貼っているような感覚ではないかしらと。動画をベタベタ貼り付けているのも、自身の情報庫として活用したいから、かも。趣味として眺めたいというのならべつに構わないかなと思います。でも、読者としては見たいものでなければ通いにくくはなりますね。
本人の個性はもちろん大事ですが、過剰に自分をアピールされている方も好きではないです。
けっきょく、言葉の温度がおなじような方でしょうかね。熱したり冷めたリが激しいもので。
>公開している以上自己満足だけでは続けていけないでしょうし、読者有ってのblogとも感じます。
たしかに訪問者様との交流ですくわれたことは多々あります。これまで誰にもブログにコメントいただけなかったら、たぶん閉じていたでしょうね。それはありがたく思っています。
ただ、読者を意識しないでブログ活動されている方もいるのではと。コミュニケーションとるのがじょうずな方はいい関係を築かれていますが…(反省)職人仕事のように淡々と自分の目指すべきものを見据えて、書かれている(もしくは動画・画像をつくっている)のを読むのが私は好きですね。自分ではできないような体験や長年の職業やある特定分野について培った知見をお持ちの方のが。
今さらですが、二月はお世話になり感謝しています。
ブログパーツといえば、クリックすると画面が海底に沈んだようにマリンブルーに染められたり、お魚さんがひらひら泳いでくるものがあったら、楽しそうですね。では!