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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「想いの後先」(四)

2021-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

アクリルスタンドを挟んで、二つのベッドに別れたふたり。
おやすみの言葉で姫子が布団をかぶったのを機に、部屋の暗さが一段増しに深くなった。完全に消灯にしないのは姫子が怖がってしまいそうだから──ではなく。まばたく月光は薄闇に箔押しするかのごとく、窓辺をほのかに明るませていた。寝床脇のルームライトはムーディな暗めのオレンジ色のまま、どことなくアジアンテイストな夜を演出している。陶製シェードの透明感のうえに、古なじみに貼られたシールみたいな、陰影のある植物画が輝いて浮かんでいた──それから、十数分が経ち…。

「ねえ…千歌音ちゃん、起きてる?」
「姫子…もうお眠りなさい。明日も早いわ」
「わたしの寝言がうるさかったら、ごめんね」
「それは、私の子守唄代わりにするわ。姫子の声を聞いたら安眠できそう」
「でも、…電気消してもいいんだよ。わたし、寂しくなんかないからね」
「遠慮しないで。このままでもいいのよ」
「千歌音ちゃんのお部屋…いつも夜遅くまで明るいね。無理しなくたって、いいんだよ」
「別に夜更かしをしているわけでは…」

千歌音がかぶった布団の山がもぞりと動いて、三角ができたり、盆地になったりする。
寝返りを打つつもりで、向こう側に視線を向けた。物言わぬ等身大アクリルスタンドの曇りなき動かぬ笑顔があって、姫子の生なましい声だけがこの空間に新しく生まれた影をのりこえ、夜の静寂をゆっくりと震わせる。姫子はいまどこを眺めているのだろう。つむじ曲がりや紅のリボンがよく見えるほど誰かの足のつま先ばかりを見つめていた彼女は、いま少しだけ背が伸びて、たぶん、もっとずっと高いところを見ているに違いない。私だけではない、多くの広がりをもった複雑な景色をまんべんなく。

「千歌音ちゃん、聞いて。わたしはね──もう暗がりに千歌音ちゃんを置いてけぼりにしたりしないよ」

千歌音の喉の奥がひくついた。
涙を拭い握りしめていたシーツの端を噛みしめて、抱きしめたくなる衝動を押しとどめていた。たぶん、きっと、今、見られたくない顔をしている。ネグリジェの胸もとを、ぎゅ、と絞りあげてしまう。扉はかってに開けてもいいけれど、覗かれたくない、ここ──が熱い。

──知っていたのね、姫子。
月の社の拭うことのできない重たい闇、永劫に光りを奪われたあの世界から生まれ変わることのできた、やさしさが満ちているはずのこの世界。やっと、私たちが二人だけの幸せを謳歌することのできたこの現代。なのに、世界はやっぱり邪魔をする。時代はいまだに冷たかった。楽しいお出かけも、お遊びも、制限されつくして。転生前に約束したことのすべては、まだ果たせないままだ。愛しい人がさりげなく触れることにすら、命の危険を覚えて身を引いてしまうことがある。信じていると思いたいのに、近づけないもどかしさがある。

「私は姫子を喪いたくないの。貴女のいない世界なんて、太陽ののぼらない星と同じなのだから」

もし、貴女があの死の病に罹ったら──私はきっと命を賭して看病するだろう。
誰にも触らせない。姫子の汗を拭い、熱を調べ、水を含ませ、動かなくなった筋肉をほぐし、肩を貸して歩かせて。姫子から洩れ出てきた痛みはすべて自分のものにする。そんな献身を愛情という義務めいた言葉で枠にはめてしまうのは、一等ずるいのだろう。けれども、私はそれをやり遂げるだろう。救われたのだから、救いたい。それがふたりの秘めやかな盟約。千歌音の秘かな決意なのだ。

姫宮家の根回しで跡取り娘の自分にはひそかにワクチン接種が手配されていた。それを姫子に回そうとしたけれども、すげなく拒まれてしまったのだった。けっきょく、乙羽はじめ侍女の一部が接種したけれど。未接種だった侍女のひとりの家族が感染者になったらしく、感染経路として特定されたのが、学校法人私立乙橘学園の理事長就任を機に催された、先月の大々的なパーティー。各界の経世家たちを招いた姫宮御当家が真っ先に疑われてしまったのだった。

批判の矛先を向けられたのは千歌音で、若い女の理事長という物珍しさもあってか、衛生管理体制をことさら激しく糾弾されてしまった。
なにせ、他の老獪な参加者たちはみなワクチン接種済み。主催者側が若い方ばかり。そもそも千歌音はパーティーの延期を求めたが、理事会の役員どもがのらくら言いつのって許さなかった。晴れがましい門出のはずが味噌をつけられて、今は謹慎状態で外出も控えているというありさま。ワクチンは村人の皆さん、学園の皆さんが打ち終わるまでは──とかたくなに拒否をしている。

そのため、今、姫宮邸のなかはなんとなく張り詰めた空気が漂っているのだ。
愛する二人が想うさま熱を伝えあえられない。好きだというのにも口もとがわからない。なんという不自由さなのだろう。アルコールの匂いばかりで想い出がかき消されていく。衣服の交換すらもできずに、食事も別々で、当然ながらナイフもフォークも共有できやしない。髪のとかし合いっこも結んでおめかしもできない。涙があふれてもハンカチにすらなれないし、胸を借りることだってできない。

そうやって、涙ぐましいほどに距離を保ちながら、私たちを必死に繋ぎとめてきたのは何だったのだろう。私たちを重なりあわせてきたものは──ただひとつ。かたちの見えないものだけだ。何かが見えづらくなってしまったこの世界で、やっかいな持ちものを空気中に放ち、分けあいながらも、ふたりは繋がっている。お互いが変わってしまったからといっても、約束が違(たが)えられてしまうわけではないのだ。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「想いの後先」




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