魚の寿命はとても短いらしい。
ひとは年をとれば子どもになっていく──と、まるでベンジャミン・バトンの数奇な人生を先取りしたようなことを、言われる御仁もいたけれど。それは精神の進化の話。
生態的にいうなれば、ひとは衰えると、魚にかぎりなく近づいていくのではなかろうか。
魚には手足がない。
なにかをきっちり掴むのがおっくうになったとき。街を三〇分歩いてひどい疲れを感じたとき。
滑って転ぶことが多くなったとき。
それは衰えだ。
魚には声がない。
とてもだいじな意見があるのに、相手に伝えるのが厭わしくなったとき。あいさつして、唇をほころばせるのすら嫌になったとき。
艶のいい声、張りのある言葉を出せなくなったとき。
それは衰えだ。
魚には耳がない。
ただ水の流れだけに身を浸し、せせらぎに耳を憩うこともない。街の音を拾うのが、わずらわしくなる。
ひとの声に注意するのがめんどうくさくなる。
それはひどい衰えだ。
魚にはやわらかい髪の毛がない。あたたかい皮膚がない。
陸に上がると、砂に埋められたように、息苦しくなってしまう。どこかしら、冷たくて、日常の風にあたると乾いてしまう。
まっすぐにしかならない、骨しかない。からだが固くなって、折り曲げても顔が足もとにくっつけない。
それは、やはり衰えだ。
魚には自由な瞳がない。
まばたきをしないから、闇をさえぎることができない。いつも前ばかり向いていて、退くことをしない。
それも、若さを勘違いした衰えだ。
イソギンチャクのようなけったいな生き物を、うつくしい花だと憧れる、ゆがんだ美学がある。
魚には思考がない。
考えなしに感情に任せて動くから、すぐに浅い情報に釣られてしまう。おいしい餌にとびついてしまう。
けれど裏切られても戦うことができない。
それは、衰えだ。
魚には夢がない。
ただひたすら眠いというだけで、願いを抱くことを忘れてしまう。ただ水を喉に通すように食事をし、内臓にたまった物を重く感じるだけ。
泣いてもわからない海に逃げたくなる。
それも、衰えだ。
魚には老いがない。それはもともと、これが衰えている生き物だからである。
まだ老いなんて、口にする年齢じゃないと思うけれど。
ますます、魚に近くなったかしらと思う今日この頃(堕落)
【体験談募集】「体力の衰え」を実感した瞬間は?
大変ご無沙汰しております。
魚というのは、7日で記憶が更新されているという研究結果を以前何かの新聞で読んだ気がします。
釣られた記憶を7日間は保持できるけれども、それを過ぎたらまた同じもので釣られてしまう。
ちょっと悲しい話ではありますが、ほんの少しだけうらやましいと思うことがあります。
同じ刺激でも、釣られずにはいられない衝動をまた持つことができるのですから。
老いは、昨日できたことが、今日おぼつかなくなることかもしれませんが、また新たな方法を考えて楽しむことができることなのかもしれません。とりあえず、最近はそう考えています。
コメントありがとうございます。
>魚というのは、7日で記憶が更新されているという研究結果
おお、それは驚きですね。たいへん勉強になりました。センセイ、さすがです。(by ユキヒトさん)
魚じゃないですが、垢しかでない目からひさしぶりに鱗が。
この感激の涙で、銀水晶がつくれそうです、うふふ(いったい、どこの美少女戦士ですか?)
>釣られた記憶を7日間は保持できるけれども、それを過ぎたらまた同じもので釣られてしまう。
いつも脳内でひめちかラブラブ妄想している私の記憶は、七日ではリセットされませんなぁ、あはは(どうでもいい)
本能的なこと遺伝子にしみついているんでしょうけれど。魚といいますか、原始的な生命になるほど、固体としての記憶の容量はすくなくなるんでしょうね。
人間に近い生き物、猫や犬なんかは、ちゃんと主人の顔をおぼえていますから、持続は長いのでしょうか。
>同じ刺激でも、釣られずにはいられない衝動をまた持つことができるのですから
刺激をあたらしく感じるというのは、マンネリを防ぐという意味で。気分は若返るのかもしれないですね。進化というのは、老いにすすむことでもありますから。
そしてまた、忘却という救いがある。悲しい想い出にとらわれずにすむので、魚はあまり悲しい瞳をしていない。ときおり、それが恐くなるときがあります。
>老いは、昨日できたことが、今日おぼつかなくなることかもしれませんが、また新たな方法を考えて楽しむことができることなのかもしれません。
赤瀬川原平の老人力の発想ですね。いわゆる負の力学。
私たちの世代の大半は老いることを恐れているでしょう。けっして、現今の老人世代のような豊かな暮らしは保障されていないのですから。
しかし子どものような夢想ばかりするのも、アレですね(苦笑)
たわ言におつきあい感謝です。