陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

守秘義務のある業務を作家はどこまでネタにできるのか

2019-06-11 | 読書論・出版・本と雑誌の感想

2009年5月に我が国で裁判員制度がスタートして、はや10年。
国が決めた制度というものは、10年どころか、3年ぐらいのスパンで見直してほしいものですが。新聞紙面でも、裁判員制度の定着をめぐって世論調査がおこなわれ、識者による寄稿でにぎわっていました。

読売新聞2019年5月21日の朝刊、特別面における特集「識者の見方 裁判員制度10年」では、裁判員経験者のみならず、ともに審理に臨んだ裁判官らへのアンケート、さらには検察庁、最高裁判所、日本弁護士連合会の法曹三者代表者らの声も載せています。この専門家の見解も興味深かったのですが、私がややひっかかったのは、とある女性作家の声です。

犯罪や裁判、更生をテーマに据えた小説は多々あります。
裁判員制度の理解普及のために2008年に、刑法学者の解説をくわえた犯罪小説を出版したことのある、現在50代の女性作家さんの寄稿を以下、要約しています。


刑事裁判では、法曹三者は犯罪事実そのものを判断するが、一般市民たる裁判員は、「人」そのものを見ている。被告や被害者のおかれた環境や、人柄、言動に感情を左右され、量刑が揺らぐ。精神的につらい判断であるが、裁判員の9割が経験をプラスにとらえているのは、体験の珍しさや知的好奇心の充足にあるのだろう。他人事を自分事に考えて社会をよくするきっかけになればよい。
しかし、自身はストレスが大きそうなので、裁判員を務めたくはない。精神的負荷を和らげるために、経験者が事件や名前を伏せて気持ちを呟ける閉鎖的なSNSがあればよい。裁判員を題材にした作品を書きたくはあるので、語りたい方のお便りを待っている──。


裁判員を題材にした映画はすでにあるので、何をいまさらとの感はあります。
しかし、ここで気になるのは、自分は裁判員にならないが、他人の体験談を創作のネタにできれば利用したい、と堂々と全国紙で宣言されていることです。作家というのは、自分から足で資料を探して、情報を集めてくるのだと思っていましたが。自分が書くから、他の作家は書くなよという牽制球なのでしょうか。最近の作家さんて、呆れるくらい作家業としての自己利益だけの目線からしかものが見えない人が多いですよね。倫理観をすてて、自分が創作にしたら面白いか、作家としての威厳が確保できるかどうかの視点からしか、ものごとを判断しないので、考え方が気持ち悪いです。

そもそも裁判員は裁判の過程を口外してはならない守秘義務がありますが、作家に語って文面にしてもらえば、語った当人は免責されるのでしょうか。ある殺人事件をテーマに描くために、リアリティを追求したいからと加害者に殺害シーンの再現をお願いしたり、被害者遺族や目撃者に現場の状況を克明に聞き出したりする、いかにも無神経な行為のように思えてしまいます。出版社社長の作家の実場部数晒しがいい例ですが、現在のSNS上でもうっかりご法度について口を滑らす業界者もいたりして、批判を浴びていますよね。参加者限定のグループトークにしたところで、いつ、どこで誰が漏洩してしまうのだかわかったものではありません。それに、裁判員の体験を、新聞などに発表できる範囲をこえて下衆なマスコミに売り飛ばそうとする、ふとどきな輩も出てくるでしょう。

この守秘義務のある業務を売文のネタにしていいのか、それができるなら、どこまでが境界線なのかは、いまいち不透明です。
かつてサラリーマンとして身を置いていた金融業界の不正体質を暴いた小説はドラマ化もされ、ベストセラーになりましたが、あきらかにこれは脚色アリだろうという場面がわかるもので、読者の誰もがそれを現実だとは思いだにしないでしょう。しかし、刑務所の刑吏だとかが受刑者をネタにしたり、弁護士が社会悪とされるような重大事件の被告を正義者のように描いたりしたら…、三島由紀夫の『宴のあと』裁判のように、プライバシーの侵害が問われる事態になることは必須です。

また、いちばん厄介なのが、事件の加害者自身が著作活動を行ってしまうことですね。
神戸市児童殺傷事件の少年Aのエッセイを出版した某出版社にも怒りを感じますし、三億円強奪事件の真犯人を名乗る人物名義の本も、いくら時効だからとはいえ、なんだかなという冷めた気持ちしかしません。動画再生数を稼ぎたいために悪行をかさねる悪徳ユーチューバーと同じですし、模倣犯を引き寄せる恐れもあります。

正直、こういった出版物のモラルに眉をひそめたくなるから、本や雑誌などを買いたくなくなるんですよね。
事件の被害者に対する過熱報道や、泣き映像を撮りたいがための陰湿な質問なども問題視されていますし、最近の作家さんも言っていいことと黙っているべきこととの見分けがつかない人が多いのでは。もし、今後、裁判員になるために役立つための作品というのならば、著作権を放棄して無償で執筆すればよろしいのではないでしょうか。

刑事事件になるほどのことでないとはいえ、理不尽な理由で家族の命を奪われた身としては、作家が他人の不幸話を、その痛みの具合もつゆ知らず、嬉々として創作の糧にしているのは腹が立ちますし、中途半端に美化されていたりするようなストーリーは虫唾が走りますね。有名人は己が死ぬこと以外すべてかすり傷なのかもしれませんが、われわれしがない一般人はそこまで鉄のメンタルをもってはいません。


読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。



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