陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

あの日から二箇月

2011-05-11 | 政治・経済・産業・社会・法務
あの大震災から二箇月が経ちました。
被災地の方々へのお見舞いの気持ちは言い尽くしても尽きることはありませんが、被害を免れた地域におけるこころ構えについて、時おり、思い悩むことがあります。

うちの地域でもごくたまに体感できる地震が発生しておりますが、発生直後一週間時のような危機感は薄れています。

むしろ、現在において危惧されるのは、原子力発電所の漏洩事故にともなう放射能の恐怖です。これについては専門知識を持たないために、いかんとも言いがたいものがあります。代替エネルギーを考えるにしても、いったい、どうすればよいのか。しかし、ひとつだけ言えることは、日本人すべては今後とも原発にノーと言わなくてはならない、ということです。

いわば人災ともいえる東京電力の不行き届きな対応については、いずれ、国民へのツケとなって帰ってくることが明確ともなれば、憤懣やる方ない思いがします。しかし、現場で保全にあたっている作業者の安否を思えば無碍に非難することもできない。

多くの識者が指摘していることですが、あの震災以来、日本の空気がやや緊縮ムードに流れました。被災地の高校を含めた春の全国野球大会が開催されたいっぽうで、アーティストが募金目的のためにコンサートを開くことが電力の浪費という手厳しい意見もありました。震災や津波をテーマにした作品の表現規制が敷かれる一方で、子どもたちに明日を生きる希望を与えるために、あえて刊行に踏み切った雑誌社もありました。

被災者の苦労話を美しい感動話として飾りたててはならない、という指摘もあります。けれど、被災地で肩身の狭い思いをして暮らす知的障害の青年が、彼の得意なピアノの即興を披露して、避難所の方々を慰めたという話を、私はマスコミがていよくつくりあげた美談だとは思いません。

フィギュアスケートの世界選手権では、優勝した安藤美姫選手が犠牲者の魂を悼む演舞に感動いたしました。あとで知ったことですが、男子シングルのフリーで、競技では禁止されているヴォーカル曲を使用した、フランスのフローラン・アモディオ選手は、日本の被災者を元気づけるためにあえてその選択をしたそうです。アモディオ選手はそのために大きく減点となり、表彰台入りを逃しました。また、開催地のロシアでは日本に向けた激励の声明文が発表されたとのこと。つい数日前には、小塚崇彦選手の発案で、浅田真央選手、村上佳菜子選手らが参加したチャリティ・アイスショーも開かれました(高橋大輔選手、織田信成選手も飛び入り参加)

この緊急の事態にあって、スケートをしていてよいのだろうかと自問した浅田選手。試合前の悩みなどよりも、観客に元気と勇気を与えるための演技をしたかったという抱負を述べた安藤選手。どちらの、いや、誰の考えがとるべき思案だったかなどと、判別する謂れはありません。がんばろう、と励ましたい人もいれば、その言葉があまりに重荷になってしまう人もいる。それを懸念して発言できないこともある。しかし、どちらが悪かったなどとうかつに責められるでしょうか。自分しかなし得ない目標に向かって立ちすくみながらも進んでいた選手に、自分のことだけしか考えないと思いたくはないのです。

元どおりの生活に戻ろうとする意志は尊重されていいし、ベッドから跳ね起きてきょう一日わくわくしながら過ごしたいがための楽しみはあってもいいのではないか。そんなことを思い、二箇月を機に、かねてから我慢していたものを買ったりなどしました。

震災発生直後から、いろいろな方のネットでの交流を目にし生存確認ができて、ほっとしております。つい最近も、心配していた方のご無事を知り、幸福感に包まれたのでした。




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