陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

いつか来るかもしれない災害のために

2018-07-14 | 自然・暮らし・天候・行事

日本の古い家屋は、不思議なつくりをしています。
腿がこれでもかと鍛え上げられそうなくらい上がり框が高かったり、人間の胴と同じくらいの太い梁が張り渡されていたりする。古い納屋の屋根裏に、水車やら脱穀機らしき木製の農具がわんさかあって引き下ろし作業を呆れながら行ったばかり。昔の人の無駄に思えることの意味は、しばしば後から追いかけて気づくものです。7月初旬の豪雨でその納屋にもわずかに浸水の痕跡が見られました。

死者200余名を数える西日本豪雨は、山陰山陽と四国地方を中心として重大な被害をもたらしました。
少し前には大阪北部地震が発生したばかりですが、日本列島は地震もさることながら、その後の津波被害の方が怖い。ぐるりを海に囲まれ、河川が豊富で、山林が多い日本は、水害国家でもあります。地震対策でも活断層の有無で安全圏を保障できないように、災害を未然に予知するのは不可能というべきなのでしょう。先の地震でも帰宅難民が問題化しましたけれど、企業によるBCP(事業継続計画)の整備が急務とされています。

広島や岡山は旅行で何度か訪れたことがある土地です。
倉敷美観地区の大原美術館が浸水を想定して、作品を避難させていた事前対策が話題になっていましたね。しかし、身の危険を感じたら、人類の至宝よりもわが身を大事にしていただきたい。

今回の集中豪雨は、二つの高気圧に挟まれた梅雨前線が停滞し、さらには台風も接近して南側から異常に高温の水蒸気がなだれ込んだため。飽和水蒸気量は気温が高くなるほど多くなり、冷やされると一気に結露になって降りてくる。さらには、地滑りの生じやすい地盤や砂防ダムの老朽化、河川の水位の尋常ならざる上昇や瓦礫や流木による堆積、などなどの要因が重なって、水没地域が広がり、被害を大きくしてしまったと報道されています。

識者によれば、日本の河川の治水工事はあまり盤石とはいえない。
ここ20年で治水関連予算が減縮され、堤防の整備率も海外に劣ります。もし、首都圏を流れる荒川が決壊すれば、60万人以上の犠牲者だとも見積もられています。東日本大震災ののち、大阪に首都機能移転をという動きがありましたが、日本全国どこにいても安全地帯などありえない。治水対策が進まなかったのは政治的判断に加え、地権者の理解が得られなかったのもあるでしょう。乱開発で地盤の脆弱な高台や崖近くに、安い建材の建て売り住宅が密集したことも、被害に影響しているのでは。

大規模な災害があると、有難いことに、義援金や支援物資が全国から届きます。
復旧やレスキュー活動で手一杯で、支援物資の受け入れ態勢が整っておらず、中には利用できない物資もあったりするようですね。個人で送付せずに、団体経由のほうがいい。募金を呼びかける善意の人もいますし、ボランティアに向かう人もいるでしょう。東日本大震災の時、菩提寺の会費とともに僅かな寄付金を納めただけですが、今年もあるかもしれません。ふるさと納税もありますが、通常、所得税を払っている人は、多かれ少なかれ、復興所得税として暗黙裡に被災地応援をしています。ボランティアさんの迷惑行為も指摘されていますし、善意が空回りしてしまうのでしょう。

読売新聞7月13日朝刊には、今回の豪雨災害であらわになった課題を検証しています。
水害の予防策としては、地域住民の意識改革が欠かせない。「特別警報が出てから逃げよう」ではすでに遅い。避難するのは、その前段階の「大雨警報」までに。特別警報が出た時点では安全に避難するには手遅れなので、気象庁も「命を守る行動を」と呼びかける。崖に面した家から逃げ出せないときは、崖と反対側の2階へ逃げる。土砂崩れで家がつぶれても、救出してもらえる確率を高くするため、だそうです。この特別警報の意味合い、恥ずかしながら、私もはじめて知りました。

地域のハザードマップを入手し、自宅はもちろん、生活圏内でよく通う施設、勤務先、学校、病院などの浸水被害を予想し、いざというときに行動を想定しておく。朝の散歩中に、ここは津波で3メートル浸水します、という表示を図書館や住宅街に見かけることがよくあります。このたびの水害では、人口に比べて避難所が少なすぎて二次避難を余儀なくされたケースもあるそうです。準備不足だったことに責任を問いただすのは後回しにして、まずは被災地のライフラインや生活再建につとめていただきたいものです。学業に集中できなかった受験生には救済措置や奨学金の恩恵があってもいい。

普段は目先の楽しいことに紛らわされているけれど、自分の居住区が罹災したら、自分を含めて家族が犠牲になったら、あるいは避難所生活になったら、…といろいろと思いきたすことがあります。最悪の事態を想定して動くことと、不愉快な隣人や見知らぬ他人とも譲り合って共同生活を送らねばならないことを考えれば、そういう生き延びる力の大切さは問われていいように感じます。何不自由ない暮らしがなくなってしまったとしても、足るを知ることができるのか。近所の果実農家のお兄さんと世間話しながら、この地域で万が一のことがあったら、自分はたいして役には立たないだろうけれど、なにができるのかは考えて少しずつ増やしていこうと。田舎の人付き合いって煩わしいですが、お祭りのあとや台風一過のちに歩道を清掃したりして、私はここに住んでいますよ、と存在を知られておくことは大切なんですよね。とりあえず、多量に出てきた新品の作業用手袋やごみ袋、タオル、洗剤や石鹸は捨てずに、いつか誰かの役立つ日のために当面保管しておこうと思います。

おそらく、大っぴらにお悔やみ言葉を申し上げなかったとしても、多くの人が被害に胸痛めつつ、同じようなことを考えているのでしょう。もちろん、来ないにこしたことはないのですが…。

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健康保険証をなくしていても大丈夫、災害救助法の適用地域であれば、保険医療機関(病院、診療所、保険薬局など)の窓口で、通常の保険医療と同様に一部負担で治療や投薬が受けられる。


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