陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「13ウォリアーズ」

2008-10-24 | 映画──SF・アクション・戦争


ブログのネタに困ると、無駄にTVの視聴記録でお茶を濁す管理人です。
ちなみに私がどちらかというと洋画好きなのは、吹き替えの声優目当て。きょうの映画「13ウォリアーズ」は主演の大塚明夫氏のしぶ~いお声が堪能できました。

千年前のヴァイキングの話という設定に惹かれまして観ましたこの映画。
アラブ人の詩人が貴族の人妻に横恋慕したかどで王宮を追われ、北方の大使に左遷される。赴いた北国は正体不明の魔物に襲われていて、老巫女の神託により十三人の戦士が選ばれ討伐にあたる。その十三人目に異国の民として選ばれてしまったのが、主人公アハメッド・イブン・ファラハン。さいしょは文人だけにへっぴり腰のへたれ武者なのですが、それが屈強な兵士と旅をともにするうちに逞しくなっていくという、まあよくある話ですね。なんか、この主人公が衛宮士郎にみえて仕方がない私は、たまにセイバーさんの川澄声を脳内再生して楽しんでいます(どうでもいいです)
「ジュラシック・パーク」でご存じマイケル・クライトンの小説『北人伝説』を、ジョン・マクティアナン監督が映画化した作品。一九九九年の作ですが、いまのCGばりばりや中国製のクンフーアクションに慣れた眼からしますと、逆にバトルが等身大で自然に感じられ、胸おどる思いがいたしました。

ストーリー自体はそんなに謎もなにもなく、予定調和で終わってつまらないのですが、こういう剣劇ロマンを見せるものはこんなものだと割り切ればしめたもの。にしても、でてくる男たちがオトコマエなのに、うっとり。ジャニーズ系の優男ばかり出てきそうな昨今の邦画には飽き飽きしてますので、私。
でも、三年ぐらい前かな? 「キング・アーサー」を観たときほどの感動はなかったです。まあ、劇場じゃないからしょうがないか。
あと、敵方の正体が明るみになると意外と拍子抜け。ラスボスも案外あっさり片づいちゃいますし。
よく、黒澤明の「七人の侍」の北欧版って称されるんですけれど、一言に附せばチャンバラごっこなので、そうかもしれない。

にしても、洋画ってほんとにグロテスクですよね。血しぶきところ構わず、首はどんどん刎ねられちゃいますし。でも、アニメの残虐シーンのほうがよほど恐いのはどうしてなんでしょう?欧米は宗教絵画でそういうリアルな死の描写がなされてきたので、慣れっこなんですかね。こういう感覚がまさに、アニメの残虐シーンを罪悪視する感情なのだろうかとも思いますが。
ヨーロッパの風俗の歴史に知悉していないのですが、あの頃ってやっぱりデューラーの自画像みたいな髪型(要するにイエス様ヘアスタイル)してたのかしら。

ところで、前から気になっていたんですが。洋画の剣豪ものにはあって、邦画のそれにはあまりないもの。水のなかのシーン。「13ウォリアーズ」では、森に棲む魔物のアジトから脱出するために海に潜るシーンがあります。「パイレーツ・オブ・カリビアン」が典型ですが、洋画って水中の戦闘シーンをみごとに演出してるんですよね。日本はかつらとか衣装や、化粧の問題があって水を大胆に用いるのは難しいのかなって思いますけれど。せいぜい、浅い川とかで腰ほどまで浸かりながら水しぶきあげて刀振り回す程度だったように思うのですが。あ、もちろん私の貧しい視聴歴から申し上げているだけですが。

黒澤明といえば故郷の某私立美術館で絵コンテの展示がありまして観たことがあります。スクリーン上のあの鮮やかな彩色は、みごとに平面で下書きされていたのです。でもそれを映像にするのは並大抵の労力じゃない。

ひさしぶりに劇場で映画観たいですね。さしづめ楽しみなのはトニー・レオン主演の「レッド・クリフ」
やはりスケールでいえば中国映画には敵わない気がします。



Comments (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コゼットの肖像オリジナルサ... | TOP | 卒業家 マイナス二・〇 »
最新の画像もっと見る

5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
演技と実技 (万葉樹)
2008-10-26 18:40:05


ごきげんよう、久方さま。
ふたたびのコメントありがとうございます。

演技としての人間の動きと、実生活におけるからだのつかい方が違うというのはおっしゃるとおりかもしれないですね。
殺陣は剣を用いた踊り、バイオレンスな能舞台かしらと感じております。(といっても、能楽くわしくないですが)

水中での戦闘があるとすれば、小物を使って一撃で首をしとめるたいな迫力に欠ける忍者ちっくなものになってしまうのでしょうね。
HEROはおもいっきりピアノ線を使った偽装アクション。リアリティを求めれば、美しさと緊迫感に欠ける。やはりテオドール・ジェリコーの「エプソンの競馬」みたいな詐術が必要で、しかしそんな芝居じみた所作に親しんでしまうと、およそあらゆる日常の動きはつまらぬものに思えてなりませんね。

考察については私の領域外ですので他に付け足すことはないのですが。私の乏しい実体験からいいますと、空手にせよ、合氣道にせよ、実戦ではなく、型の美しさで競うもの。拳も寸止め、腰の振りや足の擦り方、所作全般なかなかにむずかしく、ふつうに殴り合い、斬り合いですっきりしたかった自分にはストレスでした。

あと身元については、いらぬ憶測をたててしまい申し訳ありませんでした(平伏)

経過と結果という対比でいいますと、やはり習作のデッサンよりも、完成された油彩画が求められているというのが常。自分の形になった後にしばしばがっかりするのがいつものことです。

かってなコメ返しをしてるのはこちらもなので、お気になさらないように。
貴重なご意見をいただきまして感謝いたします。


返信する
経過をみせるもの、結果を残すもの (久方)
2008-10-26 10:00:06
ごきげんよう、万葉樹さま。
久方でございます。

演技での所作と武芸事(だけではありませんが)の所作は求められているものはまったく異なりますから、そのことが何かヒントになるかもしれません。
演技の所作は、見ている人がわかるように、比較的大きく見栄えのするように。
武芸事の所作は、余計なエネルギー、力などを使わずに、必要最小限の行動で効率的に。

昔、稽古中にたまたま隣でやっていた殺陣の稽古を見る機会がありましたが、時間・空間を緻密に計算した、綺麗なものでした。指導者の手を打ち鳴らす拍子に合わせて、変わる人たちの配置や剣の筋が印象に残っています。

水中での所作の件になりますが、合気道をされていたとおっしゃっておりましたので、ちょっともう少しこちらで考察を進めさせてください。

基本的にどんな動作をとるにしても、人間は身体を支える点と言うか体の筋肉から発生した力を逃がす場所が必要です。
たとえば、地面。身体を地面に脚と言うもので固定できます。そして所作を行うことで発生する力を硬い地面に通すことで、硬い地面が返す反動と言うパワーを力として出すことができます。
これが水の中、深い水の中でありましたら、足がつきませんからまず姿勢の維持が問題になります。筋肉の力だけで何とかしようとしても、本来の力を力の何分の一しか出すことはできないうえ、その反動がバランスを崩すことになります(これは水に力を通すと、そのまま硬い地面と違って戻ってこないため)。
(これは、3話の海に流された千歌音ちゃんと姫子の話もできるかもしれませんね。手を離してしまったというのは、原因がぜんぜん違うと思いますけど)
では、水中で相手と組み合うにはどうするかと言うと、相手の身体に触れてそこを支点とすることになるかと思います。
水の抵抗を考えると、持っている得物は短剣か徒手がよいかと。
…やっぱり映像栄えしませんね。動きが小さすぎて、傍からはなにをやっているかわかりにくいです。
ご指摘のHEROで扱っている中国武術だと、ちょっと違うかもしれません。


当方、9月にお邪魔しだしたものですから、多分この名前か中原姓を名乗っておりませんでしたら違う方ではないかと。
いろんな考察を拝見したり、思いのたけをつづられているのを見て、自分もいろいろ思うことがあります。
自己での考察でそれを形にするということは、自分の中で見た風景や感情を彼女たちを通して、誰かに受け取って欲しい。それを共有したい。
そして自分の中で解き明かせなかった傷や想いを、彼女たちを描き通すことで解いていくというものがあるのではないかなと思っております。
そのわがままに彼女たちをつき合わせていいのかな?そんなことを思うときもありますが。


リンクの件、ありがとうございます。
作品も含めまして、読み手の方の大切な時間と言う代価をいただいているものですから、それに見合う価値があるものを少しでも書ければと思っています。

とんでもなく、長文となりました。
ご不快の点がありましたら、指摘していただければ幸いです。
返信する
追記 (万葉樹)
2008-10-25 22:52:49
ところで、そちら様の十月二十五日付けの記事について。
私は真剣を手にしたことはさすがにないですが、短いながら合氣道をまなんだことがありまして、木刀の重さならわかります。

ですので、あれを藁束のようにぶんぶん振り回しながら、告白台詞吐いた千歌音ちゃん、やっぱりすごい。オロチパワーを得て身体能力があがっていたかもしれないですが、一話の姫子高速フライングキャッチとか考えますとやっぱり運動神経バツグンなのでしょう。そして対する姫子も、千歌音のためにあんな重いものをひきづってよく出かけられたものだと。十一話で、時代劇のお侍さんなみに腰刀に差してましたけど、よく走れましたよねって、つっこんでいました(笑)

それと、貴ブログを拝見いたしまして、思い当たるふしがあったのですが。もしかして昨年の神無月記事にコメントくださった方では?

神無月の巫女という作品においては、いろいろな方がもろもろの想いいれから愛されていらっしゃるようです。その言葉を聞くのは嬉しくもあり、そしてまた苦しくもありますね。
その対象を分析し、かつ自分のスタンスにおいて再現して、はたして自分はなにを手に入れるのだろうか? それを書くことによってなにが得られるのだろうか、迷いはつきないです。でも書くことによって、なにがしか救われていることも事実。

久方さまもどうかご自身のこころの赴くままにご健筆をふるってくださいませ。更新を楽しみにしております。


あと、かってながらリンクにさせていただきました。
おつきあいを強いるものではございませんので。
不都合があればおっしゃってくださいますと幸いです。

返信する
はじめまして。 (万葉樹)
2008-10-25 22:00:53

ごきげんよう、久方さま。
初訪問とごていねいなコメント、ありがとうございます。
神無月の巫女愛好者さまとの出会いをありがたく感じる管理人です。

コメントをいただきまして、あらためて拙文を見直したところ、すこしいい加減に書きなぐったもので語弊があったやもしれません。
水中の戦闘シーンというよりは、正確には水中のアクションシーンというべきでしたね。単に水に潜ったりとかそれだけの。洋画であっても、あからさまに水のなかで剣をふるったりするシーンはほぼないかと思われます。
とはいえ、ご指摘はたいへん貴重な意見としていただきたく。

>後、水中では大きく所作が取れないため、組み合うことになりがちで、着物では何をやっているかわかりにくくて映像栄えがしないかもしれません。

たしかに、着物は重ね着ですから透けるとみっともないですし、そもそも着物は高価なのであまり派手に汚したくないのでしょう。洋画とかで水中に潜る男性ってシャツの下になにも着けていないのも、見映えを考えてなんでしょうね。
水中の戦闘シーンというのは、上記の海賊映画を想定して発言したのですが、よく考えたら「パイレーツなんたら」の水中戦闘シーンってCGだった気が。水中ロケはなかなかに難しいゆえ、今後の映画界ではもしかしたら合成の水中バトルがすすむのかしら。剣さばきと水しぶきの融合とが美しかった「HERO」なみに。

>それに日本では、着衣というか甲冑を着ていても泳げる泳法がありますが、それができるな人であれば面白いものが取れるかもしれません。
ただ、西洋の泳法に慣れていると、身体の使い方が違うようで、一度教わりましたが、おぼれそうになります。

久方さまは武道にお詳しいのですね。とても参考になりました。チャンバラ時代劇の殺陣ってかっこいいですけれど、じっさい生きるか死ぬかの瀬戸際の真剣勝負で、あんな演舞みたいな悠長な剣捌きなどできないではないかと思ってしまいますね。


返信する
水中について (久方)
2008-10-25 15:01:46
はじめまして。
久方と申します。

日記を拝見しました。
日本の映画で水中での戦闘シーンが少ないというのは、自分も装束が原因だと思います。
西洋の服よりも身体にまとわりつく部分が多く、慣れない人間では危険が伴うような気がします。
今現在も着衣での泳法は緊急時のために講習会がありますが、難しいものですから。

後、水中では大きく所作が取れないため、組み合うことになりがちで、着物では何をやっているかわかりにくくて映像栄えがしないかもしれません。

それに日本では、着衣というか甲冑を着ていても泳げる泳法がありますが、それができるな人であれば面白いものが取れるかもしれません。
ただ、西洋の泳法に慣れていると、身体の使い方が違うようで、一度教わりましたが、おぼれそうになります。

ご参考になれば幸いです。
失礼がありましたら、どうかご容赦くださいませ。
返信する

Recent Entries | 映画──SF・アクション・戦争