陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「てのひらの秋」(五十九)

2010-11-25 | 感想・二次創作──魔法少女リリカルなのは

***

新暦〇〇六七年のミッドチルダの春は、ずいぶんと遅かった。
暦のうえでは春を叫ばれながら、まだ根ぶかい冬の寒気が居坐っていた。
哀しいほどに冬の明けるのがひときわ遅い、冷たい早春だった。冷気は地中深くの根元までじっくりと包むこんでいて、草木のなかを伝う水ですら凍ってしまうのではないかと思うほどの寒さだった。こんなしぶとい冬の粘りには、桜は言うまでもなく、頑強に冬を耐え忍んでいた梅の木ですらも、すっかり根負けしてしまう。その縮こまっている蕾みのことごとくが、固い眠りから覚めるのはいつのことだろうか。

三月のある日の午後六時過ぎのことだった。
首都クラナガン市の先端技術医療センター附属病院の西第三病棟の二階から、沈みかかる太陽がほどよく見えた。予定時刻よりも長引いた日の入りだった。

暮れなずんでいく夕空、その中央に、紅い玉を抱きかかえるかのように、椅子に座ったままの背中が見えた。
少女の着ていたものは、古ぼけたジーンズに似た薄いブルーの服だった。手術台に乗せられる前の殺菌された術服のような恰好だった。落日は、その少女の窪みの浅い胸に落ちこんで、膝のあたりをほんのりと明るくしていた。

その斜め横顔があまりに絵になっているものだから、十一歳の訪問者は声をかけづらかった。しかし、ここで呼び止めなければ。そのまま、彼女があのぱっくり開いた紅い穴のような丸さの向こうへ行ってしまいそうだったから。

「…なのは、こんなところにいたの?」
「フェイトちゃん…」

夕陽の照り返しを痩せこけた頬に浴びながら、亜麻色の髪を背中に垂らした少女が振りかえった。
少女の全体重を支える大小揃いの四輪は、向きを変えていない。わずかに首と視線を、後ろへ動かしただけだった。

彼女・高町なのはは知っていた。不意に訪れた親友が、自分と並んで立ってくれることを。そして、彼女フェイト・テスタロッサは思ったとおり、すぐ右隣まで素直に歩いてきた。翠いろのリノリウムの床に響く靴音に耳をそばだてながら、なのはは前に向き直った。

足音が止まった。
画布のような粗い布地を大きな鋲で止めた車椅子の背中から、ふいに柔らかな温かさがもたらされた。フェイトが後ろから首回りをそっと抱きしめたのだ。ほんとうは手にしていたコートを掛けて暖をとらせてあげたいところなのだが、車椅子の後輪の動きを妨げる恐れがあった。

「あんまり長く外の風にあたると、からだに障るよ」

なのはは、前開きで首から裾まで大きなボタンの並んだ、長いジャンバースカート型のパジャマを着込んでいた。
着替えを手間取らないように服をまとっているというよりは、布でかろうじて覆っているだけという感覚に近い。そのいでたちは、どこか実験にかけられた動物のように思えて、フェイトにはにわかに悲しみがふつふつと湧き上がり、押し寄せてくるのだった。





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