陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

2023年夏の暑中見舞い状

2023-07-30 | 自然・暮らし・天候・行事

暑中お見舞い申し上げます。
厳しい暑さが残っておりますがお元気でお過ごしでしょうか?

先日は結構なお品をご恵贈くださり、誠にありがとうございました。
夏の疲れが出やすくなる今日この頃、おからだご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。


……といった文面のハガキを、ここ週末にわが個人事業上の取引先三軒に送った。
いずれも支払のいい優良事業主さんばかりだ。ただ、インボイスもあるので今後の価格交渉に懸念材料がある。頂いたうちの菓子折りは、ありがたく仏前にお供えしたのだ。普段、我が家では口にしない食材もあって、わざわざ三代目若社長が直々に届けてくださったりもした。私はたまたま留守だったのだが。

我が勤め先でも、お得意先、仕入先大手からのお中元が届く。
取材やインタビュー、新規顧客の来客もあって、そのお裾分けやら、お礼品の手配やらで管理部門も忙しい。現勤務先はさほど多いわけではないが、かつて総務事務で勤めた会計事務所は、年末のお歳暮ラッシュで何十件もの宅配が届き、さらにそれにご丁寧なお礼状も送付するため、てんてこまいだったことを思い出すのだ。

年賀状も含め、サッと出したいときは、筆ペンで書きつけている。
過去に百貨店で買い求めた鳩居堂の絵ハガキがまだ残っている。絵葉書はここ数年でかなり割高になった。

手紙は何のために出すのだろう。
相手の体調を気遣うのが一番いいと気づいたのは、ここ数年、うっかり近況を記入して疎遠になった相手が多かったからだ。

自分が不調の時に、就職だの、子育てだの、介護だの、あるいは展覧会だの受賞だのの報告をもらいたくもないのは人情だろう。もし、そうした意趣返しがしたければ、ブログに一人で書いていた方がマシだったのだ。わざわざ目に見えるかたちで毒づいたのは、年賀状のやり取りをしていながらも、私自身がそのつながりに疲弊していたのだろう。自分が死んだときに葬式にかけつけてくれるほどの相手が、どれだけいるのだろうか。

現業の正社員として勤めてからのことを、私は取引先はもちろん、かつての友人や恩師にも、親族にも手紙で知らせてはいない。かつて年金生活者のもと教師に毒づいた電話をもらったからだった。仕事を失って社会で活躍できないシニアのもどかしさを垣間見て、70歳どころか80代のベテラン正社員まで在籍している現在の勤め先のすばらしさに改めて気づかされたのだった。人間は現役でほどほどに働くのがいちばん心身共に健康にいいのだ。

もちろん、私の病状のことすらも伝えていない。
取引先に不安を与えたり、心配されすぎたりもしたくない。これは代りが利かない仕事にはありがちな悩みなのだろう。

暑中見舞い代わりに届くのが菩提寺の棚経の案内。
今年の夏は、私の入院で参加見送りとなり、お布施だけ納めることになりそうだ。ときおり、もし私がいなくなったら、残された空き家はどうなるのだろうか、私の作業のデータや書類は…などと考えてしまう。行政書士の資格持ちだから、それなりの終活の覚悟はあるのだが、まだ着手できてはいない。

夏に憂鬱な気分になるのは暑熱のせいだけではなく、終戦記念日だとかお盆行事だとか、個人的な家族事情だとかまあいろいろあるわけだが。植物が枯れたから、何かとてもぬぐいがたい感情の檻にとらわれたといったような、かつてのメンタルの脆弱さがなくなったのは喜ぶべきか、それとも感情の退化としてうけとっておくべきか。

(2023/07/30)



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