陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

学歴ではなく教育歴が大事

2017-10-09 | 教育・資格・学問・子ども
連休中でお休み中の皆さんには申し訳ないですが、頭の痛くなるお話をします。

あなたはご自分の教育歴に満足していますか?
「教育歴」であって、学歴でも学校歴でもありません。人生がうまくいかないのを、学校や親のせいに、国のせいにするのは、もうやめましょう。

2017年10月2日付読売新聞朝刊記事の人生案内にこんな記事が。
相談者は、学歴コンプレックスに悩まされる60代男性。受験生時にノイローゼになり本領発揮できず、志望校の一流国立大をあきらめ二流の私立大を卒業。のちになって、父親に後悔を話すと、「宿命だから諦めろ」と言われたとのこと。

これに回答したのは、最相葉月氏。
この人の回答はたまにズレてると感じますが、今回は明瞭。
要約すれば、「学歴自慢も劣等感も、学歴以外に話題がないモテない人のすること。あなたの問題の本質は、学歴そのものではなく、高校時代の体調変化を労わらなかった冷淡な父親の態度。学歴は自身で変えられる『運命』であり、生前からの『宿命』ではない。いまから、人生挽回しましょう」

レッツ・ポジティヴシンキングがいつも信条の、回答者先生。
指摘はたしかに鋭いです。しかし、いささか無理もあります。この男性はなぜ、60代にもなって、老父のせいにして人生駄目になったと考えてしまうのでしょうか?

1960年代に高校生だったこの相談者。
文部科学省発表の「学校基本調査」によれば、当時の男子の大学進学率は20パーセント前後。5人に1人しか進学できず、しかも共通一次試験世代ですから、国立大学は5科目7教科みっちり勉強せねばならず、かなり大学入試も過酷だったはず。私立大学に進学できただけでも優秀ですし、家計にかなり余裕があったのでしょう。進学させてくれた親を恨むのは筋違いです。自分の才能に対して謙虚なのは、恥ずべきことではありませんが。

なお2016年には大学進学率は男子55パーセント、女子45パーセント。高校生の半数以上は大学に進学し、入試も面接と作文と一発芸(部活動成績や学校外での受賞歴)だけで通るような、なんちゃって私大も多い。もちろん、三流私大を出ていても、コミュニケーション能力が高くて一流企業に就職できる人はいるにはいますけど、志望者が殺到する大企業で学歴フィルターはあります。

大学進学率上昇は、また、労働人口の都会への流出を生んでいます。
総務省が発表する「労働力調査 基本集計」の都道府県別結果の時系列データを見ますと、この20年間で、15歳以上人口と労働者人口は、東京ふくめた都市圏は上昇しているのに、地方が激減している。地方の中小優良企業でも働き手が足りず、結婚相手も見つからず、親の介護もままならなくなる。地方再生の課題と、いびつな教育熱は結びついています。家族を形成して社会を再生産していく手立てだった労働が、いまや個々人の自己実現と古い家族制度や田舎の絆からの逃走でしかなく、企業も従業員の生活をサポートすることができない。

この相談者がなぜ老齢になって、今頃、学歴を悔やんでいるのか。
おそらくは大卒に見合う職歴ではなかったから。同じ60代でも、大企業幹部や公務員になれて定年まできちんと勤めた人、医者や経営者として定年後も働ける人と、リストラされてキャリアが中断した人では、もちろん老後の豊かさが異なります。配偶者や子がいるかも関わってくる。家庭が幸せであれば、自分の学歴なんて気にしません。下手したら、孫までいてもおかしくない年齢ですね。

つまりは、学卒後のうまくいかなった人生の原因を、若き日の母校の偏差値に求めて自分を慰めているだけです。受験時代に病院で精神医療うけていれば、いい大学に行けたのに、とおっしゃる相談者。60代なのに、いまだに親のせい。還暦になっても、こども気分。幼稚に思えますが、いまの日本にこういう中高年は少なくはないはずです。

私も学歴のコンプレックスがある一人です。
国立大ですけど、志望校ではない。院卒で人文科学系なので新卒で就職できない。就職氷河期は言い訳にはなりません。奨学金やアルバイトに恵まれ、末期がんを患う父のいた実家には迷惑かけずにすみました。正社員にもなれたし、いまは個人事業主が本業だけれど士業の資格も独学取得(現所有の士業資格取得費用は、一資格あたり5万以下)で、収入も増やし、家計が楽ではないけれど、贅沢はせず暮らしております。私の親もきょうだいも、大学に行ったわけではないけれど就業していて生活習慣は正しいし、皆きちんと自立しています。自分もそうでしたがモラトリアムが長いと、逆に社会性がなくなります。

教育投資は大事ですが、教育費を聖域にして、じゃぶじゃぶ使い込んでいたら、あっというまに家計が破綻します。コスト回収率の悪いギャンブルや宝くじと同じです。我が子が、自分が、いつか大物になるという、夢を買っているだけ。その夢は、はたして、いつまでお金をかけたらいいんでしょうね? 損益分岐点が分からないと、ずるずる私学に騙されて、下手したらそこの大学院まで通って搾り取られますよね。

私は初対面の人に、出身高校や大学名はあえて聞きません。私も敢えて名乗りませんし。
高校や大学で「何をしっかり学んだか」「研究テーマは何か」「文化祭などのイベントでの役割」という、思い出を訊ねます。経済学部卒で企業研究をしていた営業さんから伺った、自分が学んでいない分野の話は面白い。すこし話をすれば、その人の知能の高さやものの考え方、誠実さはわかりますよね。体験が、その人の人生をつくる。学校が用意してくれるわけじゃない。自分の能力に謙虚で向上心がある大卒もいれば、そうでない大卒もいる。高卒者でも、思いやり深くまじめに仕事できる人は多い。30歳過ぎて職歴がなければ、いくら高学歴でも社会のお荷物ですよね。

日本の無駄な学歴信仰は、働く人を減らして生涯所得を減らし、社会保障制度の維持を困難にしています。若い人が非難する年金受給者のうち、高卒後から勤続40年以上年金保険料を支払ってきた人もいます。学歴を箔付けとしか考えない、えせ大卒者・院卒者が彼らを馬鹿にするのは間違っている。

一般的に、大卒の方が生涯所得は高い。けれど高卒と大卒との生涯所得格差は縮小しつつあるし、高卒者の大企業勤務は大卒中小企業勤務よりも生涯賃金は高い(独立行政法人労働政策研究・研修機構の「ユースフル労働統計2016」 )。なのに、私大の乱立で大学進学のコストがかかりすぎる。その費用は回収できるのでしょうか? 大卒ニートや大卒非正規社員になったら? 私大医学部にやっと進学したのに、医師免許が取得できず、取得しても患者とコミュニケーション築けなくて、無職のままの人もいます。専門学校もそうですが、高い教育投資をしたのに稼げない職業は多いです。若者がなりたがる漫画家や作家、俳優は別に大卒じゃなくてもいいし。むやみに大学を増やすのでなく、高卒時に職業能力の高い人材を育成すべきです。そのために幼児教育・初等科教育を充実させる(一部の私学や私塾がしたがるエリート教育ではなく)のは効果があります。お金のかかる私学ではなく、公立学校の教育水準を底上げすればいい。中学生までに一定基準以上の基礎学力をつけられなければ、高校や大学の奨学金は渡さなくていい。あるいは意欲のある人は働きながら高等教育機関に通えるように、企業が社員のワーク・ライフ・バランスをとれるべく働き方改革をすべきです。

60代になっても再就職して働く人も多いこの世の中。過去を嘆いても仕方がない。
人間は老いても、いくらでも学ぶことはできる。ひとの人生はそれぞれですが、自分の生き方はこれでいいのか立ち止まって考え、自分で自分を育てる努力をした人ほど成功し、幸せをつかんでいるのではないでしょうか。

上述の人生相談回答者の弁を借りれば、学歴にこだわる記事を量産する私もモテませんが(笑)。
しかし、同様の問題意識がある人と最近語っていて、ふと書きたくなったことです。

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