陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

友だちが少なかったひとの活路

2019-08-31 | 教育・資格・学問・子ども

自慢ではないですが、私は友だちが多くないです。
小中学生でふたり一組になって、とか数人で班をつくるとなると、かならずあぶれてしまう子どもでした。仲良しさんはいましたが、いつも連れ立ってどこでも行くタイプではない。高校になると完全にぼっちもいいところでした。寂しいですね。

私は高校一年生で不登校になり、その後、復学しています。
不登校になった理由は、希望の進学校に入れたがいわゆる燃え尽き症候群で、遠距離通学でも疲弊したからでしょう。復学して一年目はクラスに馴染もうと明るく振る舞っていました。しかし、二年目からは進学クラスに編入されたことや生徒会活動をきっかけに、無理に他人に合わせるのをやめてしまいました。クラスでは年上なので浮いていたはずですが、成績がまあよかったせいか扱いが悪くもなかったです。お弁当は外で食べていましたが(給食のトラウマがあって会食恐怖症なので)、そのうち、他クラスであふれたピアノ好き女子と誰もいないテラスで過ごしたりするようになりました。なんとなく、『マリア様がみてる』に親近感をもつのは、そのためです。ただし、私にそういうリアル百合っぽい感情があったかはよくわかりません。クラス女子にかってにプレゼントをもらったりしたので、ひょっとすると、クールでカッコいいと思われていたのかもしれないです。実際はかなり臆病なだけなのですが…。

そんな友だち絶望的にいない歴の私は、大学デビューしようとはりきります。
関西の国立大学に進学した私は、学生寮でも、クラスでも親しい人ができました。ほんとうに信頼できる友人ができるのは、やはりある程度の学力が近い人だということも、なんとなく知りました。ただ、関西人が多いので、かるくカルチャーショックなこともたくさんありました。

そのなかで、大学院修了後もしばらく交流できた友人は、ふたりだけでした。
「美はあまねく多く、愛はひとつでいいのはなぜか?」で紹介した親友Aは、そのひとりです。もうひとりBは社会人入学者でさらに他の大学の博士課程に進学し、その専攻は芸術関係ではありませんでしたが、のちに美術館にて仕事をしています。

芸術系ヲタクはとにかく気まぐれで、情緒不安定な人が多く、社会常識に欠けます。
このふたりは、芸術専攻にしては珍しく常識のあるほうでした。
そして、孤立していたわけではなく誰とでもそつなく会話するが、しかし特定の誰かとべったりつるむタイプではありませんでした。お金にも潔癖で、授業にもまじめに出るし、他人のノートをあてにしたりしない。しかも、独り暮らしでしっかり自活しています。まさに私と相性のいいタイプです。

印象派の画家たち、アヴァンギャルドの芸術家たちは、サロンに集まり日々芸術講義に明け暮れていました。同じ志をもったものが寄って語り合う時間をもつのはいいことです。
この親友Aは二科展入賞するほどの絵画の腕前があったのに企業就職し、さらにのちに東京の大手通信キャリア系出版会社の企画編集職に中途採用、さらにウェブマーケティング会社を起ち上げて独立したひとで、学生時代から起業を考えて準備していたとのことでした。のちに自身の特許技術もろとも会社を売却し、海外向けウェブサービスの企画開発職として雇われ、子育てしながらコンサルタントとして活躍しています。彼女は父子家庭育ちの苦労人で、仕送りもなく大学生活を送っていた私とはウマが合い、よく美術展にもいっしょに通う間柄でした。文化祭でも中心的な役割を担い、広報活動だけをがんばった私とは対照的に、芸術系ヲタクでありながら経営者としての資質がある人材でした。わがまますぎた私などにはもったいない、できすぎた親友に違いありません。間違っていたら、こちらに遠慮せず、やんわり注意してくれる、とてもありがたい人。年をとったら、こんな友人は絶対にできません。自分のキャリアをかなりしっかり考えていて、周囲に流されない、強い信念がある人でした。

私は大学での専攻を活かした道に進むことができませんでした。
それを小学生時代の学友Cになじられたことがあります。長年の無二の親友だと勝手に思っていたのはこちらでした。私の生家の商売を内心馬鹿にしたり、身内の不幸をあざ笑ったのがわかったので、私は縁を切ることにしました。この友人はいわゆるヲタク友だちでして、同人誌をつくらないかと誘われた仲でしたが、相手の絵がド下手くそなので断りました。経済的に自立していないのに、標準的な画力すらないくせに、趣味の活動にお金をつぎ込むなんてとんでもない話です。私は研究論文が学術誌に載ったのですが、このCは卒論も書かないで卒業できる私立大学だったので、学生時代に何かを残そうと必死だったのでしょう。いまではSNSで自称クリエイターやらウェブデザイナーやらコミックアーティストやらを名乗っていますが、私がこの手合いがおぞましいほど嫌いなのはCのおかげです。このCは外交官になるとか、アナウンサーになるだとか、ついにデザイナーとして独立するとか大ぼらを吹いていましたが、夢ばかり語って何一つ成し遂げたことはありませんでした。就職氷河期によくいるパターンですね、会社での就業を舐めているんです。いくら短期留学しようが、講談社フェーマスなんとかで絵の教育受けようが、院進学しようが、自己満足で身に着かないひとはいるんです。幼稚園や小学生の時から絵の才能を発揮している遺伝子持ちの人からしたら、あほくさとしか言いようがないですね。

自分でここまで書いて、性格悪いなと自覚しています。
私自身、この彼女にとって、いい友人でなかった自覚があります。何者にもなれなかった人間どうしがいじりあって、みっともないのです。

しかし、今から考えたら、私は芸術系の道にも、学者の世界にも進まなくて正解でした。
私にはほかに学ぶべきことや、やらねばいけないことがあり、もはや悠長にアートを嗜む余裕などなくなってきたからです。そのふんぎりがついたのは、絵がバツグンにうまいのにあえて画家にならなかった、この親友Aの姿を見ていたからなのかもしれません。Aはおそらく夢見がちで自立できないクリエイター志望者の不毛さに気づいていたのでしょう。やりがい搾取されるばかりの夢追いビジネスの末端者から、サービスを創発する側に立たないといけないことをAはしっかりと見抜いていたのです。


(親友の自作デザインの年賀状)

私が高校時代に学んだ友だちの基準は、自分と金銭感覚が合う人でした。
まるで配偶者選びのようですが、一緒に遊びに行くのだから大切なのです。自分ばかりが奉仕している、損をしている、対等じゃない関係なら、さっさと離れましょう。高校の空手部時代にタカリ屋の悪友がいたおかげで、私は付き合う人は慎重に選ばないといけないと学んだわけです。お金に杜撰なひとを見分けるこの嗅覚は、事業主や経理担当者には必要です。

友だちはけっして多ければいいというものでもありません。
誰とでも気軽に付き合わない人は口が堅く、一度付き合ったら簡単に裏切ったりはしません。そして、ひとを含め物事をかなり深く観察しています。どうでもいい友だちが100人いるくらいなら、有能で思慮深い人が1人いるほうがマシです。

付き合う人によって、人生が変わってしまうのだとしたら。
見せかけではなく、真摯に努力して輝いている人が側にいた方が、自分の励みになるのではないでしょうか。どんなに親しくても、趣味があっても、好きなものが共通していても、一見優しそうであっても、考えや美意識が合わない人とは疎遠になっていくものです。それは、自分が自分らしさを維持するために必要な経過なのです。だから、いまの環境で、自分の理解者がいなくても気にすることはありません。閉鎖的な場所ほど、異質な人を集団で排除して安心を得るのですから。他人を当てにしてばかりいると、自分を見失って、いつも誰かの価値観に依存して生きていくことになります。

高校や大学の同期生はときに、シビアなライバルにもなってしまいます。
年を経て、出世の差や資産、配偶者や子の有無などで比較しあって、ギスギスした関係になりがちです。自分がマウンティングして優越感を保ちたいに側に置きたがる「友人」をとっかえひきかえ切らさない人間もいます。そういう人に摑まると、いつか呪いの言葉を浴びせられ、エネルギーを吸われてしまいます。かえって、親しくした友だちなんていなくて、自分のやりたいことに集中できたひとのほうが、何かに大成するのかもしれません。高校大学時代にがむしゃらに勉強して司法試験合格や公認会計士資格を取得してしまった人だっています。

他人を無能か、有能か、で判断するとしたら、それがひとの快感や美的価値になるのだとしたら。もはや、ひとはロボットしか愛せなくなります。そして、悲しいことに、ビジネス社会で資本主義はそういう世界なのです。わたしたちは、この世の中で、自分は何ができるか、いかに美しく、素敵だと感じてもらうかに苦心する悲しい生きものなのです。

人の生き方はそれぞれですが、10代20代のうちに、周囲に出会ったひとに影響されるものが大きいのではないでしょうか。

私にはいまでは友だちがいませんが、メンターと呼ばれるような、いいアドバイスをしてくれる人に、ここぞというタイミングで出会ってきました。
どんな専門家でもなんでもできるわけではありません。なので、この件ならこの人に聞こうと思えるような相手をすこしずつ周囲に増やしていくのがいいのです。別に名刺を配りまくったり、なんでもかんでも話しかけまくったりしたらいいわけではありません。事と次第によっては、寄ってほしくない人まで引き寄せてしまうからです。

もうすぐ夏休みが明けます。
学校が苦手な人、嫌いな人向けのいたわりが新聞記事では増えています。私は中学高校では友人に恵まれませんでしたが、地元を離れ国立大学に進学した先では悲喜こもごも出会いがあり、助けられることが多かったです。大学院進学してすぐに父が急逝したときも、企業の奨学金を探して紹介してくれたのは、大学寮の先輩でした。アカハラまがいの嫌がらせをされたと思い込んでいた教官であっても、きょうだいが亡くなったときに慰めの手紙をくださったこともありました。

大学というのは、ひいては学校というのも、会社もすべて、他人と出会うために通うようなものです。これまで勤めた職場にもそれぞれの良し悪しがあり、すべてが悪かったわけではありませんでした。

いま、自分の置かれた環境が最悪であっても、いつか活路は見つかります。
それまでに、自分を引き上げてくれる人に出逢うために、自分をしっかりと保つことが大切なのです。事業主になるひとも企業の管理職も責任感が重いので、本質的に孤独です。頼れるのは自分の判断力のみ。自分から動かないとなにも解決しないことを肌身で学んでいますから、他人を信頼するのもすこぶるドライです。契約履行しない人は、付き合ってはいけない相手ですし、時間の無駄です。誰も彼もいい顔をしたりはしません。それでも、気持ちよく動いてもらうよう配慮せねばなりません。

そして、自分が不幸な時の態度や反応で、そののち付き合っていい人なのかわかります。
困ったときにお金を貸してくれるのがいいとか、気休めの言葉をくれるとか、やたらと御世辞を言い出す人を、私は信用してはいません。言葉はきれいですが、口調がなんとなく卑しい。こういう人はいざというとき裏切ります。自分の愚痴や負の感情に他人を巻き込もうとするひとも嫌いです。大事なことは、自分がどういう人が嫌いで苦手なのか、という軸をはっきりと持つことです。

私は18歳の夏休みにふと勉強がしたくなって、高校に舞い戻りました。
大学受験生だった同級生に負けたくないと思ったし、なりたいと思う職業があったからです。その職業になれずじまいで終わりましたし、目指したけれど挫折続きの人生の連続でした。亡くなった親族の負債を背負い、職に恵まれず生活も苦しく、辛い時期もありました。それでもまあなんとか生きていますし、おそらく、私と同じように見えないけれど苦労して生きている人は、この世の中にたくさんいるのでしょう。私は世の中で目立って活躍しているひとよりも、地味だけど着実に暮らしている人の声を聞くのが好きです。こんな私は、破天荒な人生を送る人が多い芸術向きではありませんでした。芸術というものの理不尽さをある程度学んだからこそ、芸術家が嫌いになったのです。

あなたは自分を活かすものにまだ出会えていないだけなのです。
しかし、また、気づかないだけで、すでに出会っていることもあるのです。
人でなければ、本のなかで出会ってもいいのです。年をとれば、自分を見つめ、自分と語り合う孤独な時間も必要なのです。

夏休みは自分をふりかえるいい機会だったのではないでしょうか。
秋からも楽しく幸せに過ごしたいものですね。
あなたを傷つける人の側にいてはいけません。自分を疑いもなく、善人で美人で賢いと考えている人間ほどやっかいなものはありません。そして、人間は完ぺきではありません。自分をまるごと受け入れてくれる人なんて、残念ながらそうそういないのです。


★不登校・引きこもりでも生存戦略しませんか★
学校に行きたくない、働きたくない、世の中に出たくないと思っている人に。人生は失敗したことではなく、その挫折からなにかを学んで、いかに立ち上がったかで決まります。 やや、お節介な記事の一覧です。私はこの記事を誰かに上から目線でお説教するためではなく、自身の未来のために書いています。



この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 読書感想文はなぜ紙の本限定... | TOP | アニメ「神無月の巫女」ブッ... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教育・資格・学問・子ども