喜寿から始まる

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問題か事実か、悩みを真に解決するために

2018年02月08日 | 日記

目に鱗の毎日である。
年を取る、この表現は好きじゃないので、歳を重ねるということは、今まで気づかなかったことに気づく、つまり新しい発見をすることのようだ、と思い始めている。

何か対応が必要と思われる、ある出来事に出会ったときのことである。
例えば嫌がらせにあったとしよう。
どうしてだろう。いつも和気藹々で楽しく付き合っていたのに。
何か気に障ることいったのだろうか。それとも、何か心配事でもあるのかしら。などなど考え込んでしまう。
それはそれで必要な過程である。
それでも同じ嫌がらせが続いたしよう。
その場合に嫌がらせが問題だと捉えると、堂々巡りになるはずである。
ところが嫌がらせを事実として捉えると、問題は、ではその嫌がらせにどう対応すべきかということになる。
解決の仕方はいろいろある。付き合わない。同様に嫌がらせ攻撃に会った時の有効な対応策を考える。どうしても許せないので償いをさせるなどなどであるが、何らかの答えに至るはずである。

要は、どうしても解決できないようなことに出会ったときには、そのこと自体を問題とするのではなく、出来事自体を事実と受け止めること、そしてその事実に対してどのように向き合うか、実際これしかないわけですから、に目を向けることになる。するとこれが新しい問題となるというわけだ。
問題というのは「答えを要求する」ものである。よって、問題であった悩みを事実としてとらえることができれば、次は、その事実(悩み)を問題に変えることで、悩み(事実)に答えを出すことを要求されるようになり、つまりは解決することを考えるようになるというわけである。
問題の立て方一つで堂々巡りか解決に向かうかが変わるのである。問題には前提事実がある。出来事は様々な事情から成り立っている。様々な事情を一つ一つ前提事実に変えていくことで、最後の一つの問題が残り、それの答えを探っていく、つまりは出来事が解決に向かっていくことになるというわけだ。

以上は、アメリカの記事で共和党の大物政治家がフェイクニュースは問題ではない、フェイクニュースは事実である、問題はフェイクニュースの取材に応じるときにどのように対応するかである、と言っている記事を読んだときに思い浮かんだことなのである。この政治家はトランプの大の応援団なので、トランプに見習えとのアドバイスもあった。

私は問題を抱えて「どうして」と悩む依頼者にいつも「そういうものみたいよ」というのが口癖のようになっていた。既に法的手段も視野に入れている人達なので、そのアドバイスが「最後の藁の一本」だと感じていた。私は、これを人間というものは「そういうもの」「みんなそうだ」ということで納得するものなんだと総括していた。
先の記事を読んで、理論的に説明をすると、アドバイスにより納得し悩み(問題)が「事実に変わった」ということになると気づいたわけである。
悩みは事実になったので、次はその事実にどう向き合うかが問題(悩み)になり(法的手段をとるかなど)、現実の問題に直面する必要を理解することになっていたという総括(説明)の仕方もある。新しい発見だった。

勿論、性急すぎるのは真の解決にならないので要注意ではあるが、それは次段階の問題に対応する段階で修正等のチャンスがあるはずである。

いずれにしても一番重要なことは問題に真正面から取り組むことである。


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