散歩と俳句。ときどき料理と映画。

佐藤鬼房

昨日、東中野のブックオフで見つけた『佐藤鬼房俳句集成第一巻全句集』。
欲しいのだか、値段を見ると9800円である。
元々の定価が14300円だから4500円安くなってはいる。
しかし、ワタシのようなビンボー人がとても買えるものではない。
そもそも14300円という定価が異常である。
富裕層の旦那衆、御婦人相手の商売か? 

むかし年長の知人から、俳句なんて金持ちの道楽、有閑階級の遊びでしょ、
と吐き捨てるように批判されたことがある。
いや、ワタシはビンボーだけどやってます、と答えたけれど、
こんなに高額な句集が売られているとなんとも反論できはしない。
どういう神経でこんな高額な本を作っているのだろう?
豪華過ぎ、もっと簡易な作りで定価を安くするとか、
そういう努力はしないのだろうか。

佐藤鬼房(1919年-2002年)

佐藤鬼房は鈴木六林男と同年代である。
情緒や叙情に安易に流されない強靭な精神性はすばらしい。
ついでに書く。
「辺境にありながら、辺境を超える普遍の詩、云々」の帯の惹句はなんだろう。
宮城の塩竈のどこが辺境というのか。大丈夫かよ?この本の編集者。
辺境などこの国からはとっくに消えてしまっている。

いくつかの句を。

月光とあり死ぬならばシベリアで
切株があり愚直の斧があり
川蟬の川も女もすでに亡し
胸張つて木枯を呼ぶ素老人
妄想を懷いて明日も春を待つ
金借りて冬本郷の坂くだる
魔の六日九日死者ら怯え立つ
逃げ水のごと燦々と胃が痛む
縄とびの寒暮傷みし馬車通る
父の方へかけくる童女花了ふ樹
生きて食ふ一粒の飯美しき
立ち尿る農婦が育て麥青し
綾取の橋が崩れる雪催
肩で押す貨車に冬曉朱の一圓
藍いろの火がきつとある桜の夜
誰か死に工場地帶萌えきざす
赤沼に嫁ぎて梨を売りゐたり
逆立つ世棕梠は花つけ赤兒睡る
陰になる麦尊けれ青山河
露けさの千里を走りたく思ふ
靑年へ愛なき冬木日曇る
鳥帰る無辺の光追ひながら
黙々生きて曉の深雪に顔を捺す

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