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散歩と俳句。ときどき料理と映画。

四月の護国寺骨董市 その3

あいかわらずたいしたカネも持たずの骨董市巡りである。
高ければ買わないし、いい物を見ることができればそれでいい。

落としを入れて花活けとしても使えそうではある

写真の安南焼の茶碗は古いものではない。
いわゆる〈蜻蛉手〉と呼ばれる図柄で、
染付けの絵が滲んだり流れたりしたものを〈絞り手〉という。
全体に釉薬に細かいヒビ(貫入)が入っている。
これが古伊万里あたりだと、焼の甘い〈甘手〉と呼ばれて一段ランクが下がるのだが、
安南焼ではこの滲みと貫入が珍重される。
もちろんそれは15世紀から17世紀にかけて焼かれたものという前提での評価である。
この店に並んでるのはそんなものではなく、新しいものである。
オヤジさんに値段を聞くと「3000円ね」と軽く答えてくれる。
最近のものだよね、と返すと「そうそう、現代もの。でもできはいいよ」
たしかに出来はいい。骨董の世界などと関係なく身近にあれば楽しい焼き物である。
しかしワタシには茶碗ひとつに3000円はムリである。
日常使いの食器なら100均のものも含めてもう十分ある。
と思いながら、外呑みを2回くらいガマンすれば買えるよなあと未練は残る。
しかしこの歳である。もう手元に新しいものを置く必要はない。
たとえば16、7世紀あたりの、同じような茶碗であれば数万円はする。
そんなものを買おうとは思わない。見るだけで十分である。
李朝白磁の小さな壺も欲しい。安くても4、5万はする。
買えるわけがない。で、骨董市で手に取ってしげしげと眺めるわけである。
もうひとつの写真のトンボの図柄の焼き物はどうしようもない物である。
いいとか悪いとかという以前の問題で、
たんに安南焼のトンボの絵を真似して描いただけの国内の焼き物である。
それでも日常生活ではなにかの役にはたつだろう。
とてつもなくヘタクソな絵というわけでもない。なかなか楽しい絵ではある。
値段を見ると800円のラベルが貼ってある。

買えない値段ではないが欲しいとは思わない。
それはこの焼き物を否定することではなく、
身の回りにおく必要はない、といったくらいの思いである。

〈続く〉

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