散歩と俳句。ときどき料理と映画。

高麗博物館その1

2月8日から高麗博物館で始まった〈収蔵品展〉の初日に行った。
会期は4月23日までと長いのだが、油断するとすぐ忘れてしまう。
早めに行動にうつさないと、ボケの進行もあるので初日に出かけた。
高麗博物館はウチから歩いて30分、約2キロ先の大久保にある。
住所は大久保だが、職安通りを挟んだ向こうはもう歌舞伎町になる。

ビルの7階にある高麗博物館はひと部屋だけの小さな会場で
企画展の展示物も30点ほどと少ない。
しかしこのくらいの展示数が観る方としてはありがたい。
入館料は400円。
受付で400円払いチラシ類を受け取る。
ちょうどギャラリートークが始まったところらしいが、
耳の悪いワタシには聞こえない。

企画展の展示物の周辺にはこのギャラリートークを聞く人で混雑しているので、
奥の常設展示の朝鮮の家具や衣裳をまず観る。
朝鮮通信使のミニチュアが面白い。

朝鮮の衣裳や楽器、箪笥の展示。

こちらは高麗博物館の案内パンフレットの表紙に掲載された朝鮮通信使のミニチュア。

その手前に〈裴奉奇ハルモニ像〉がある。
朝鮮から沖縄に連れて来られ、日本軍「慰安婦」にさせられた
裴奉奇(ペ・ポンギ)ハルモニの陶像である。
作者は金九漢、1996年制作。陶土の素焼きだが、その存在感には圧倒される。

裴奉奇さんは
1914年朝鮮・忠清南道に生まれる。「金が儲かる」「バナナが落ちて口にはいる」とだまされて、1944年晩秋29歳のときに「慰安婦」として沖縄・渡嘉敷島の日本軍特攻基地に連れてこられた。慰安所に改造された「赤瓦の家」で「アキコ」と呼ばれ、「慰安婦」生活が始まる。1945年3月米軍上陸後は、日本軍の炊事係として山中で日本軍と過ごす。
日本敗戦後は、米軍の民間人収容所に入れられ、その後は身をひさぎながら放浪の日々を送るなど、朝鮮に帰国するきっかけを逃したまま、異郷の地・沖縄に残留。1991年10月逝去
彼女については『赤瓦の家』(川田文子/ちくま文庫)に詳しい。

〈ゆっくりと続く〉

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