今日も泥縄・・・

心の憂さの捨てどころ(^^♪

思い出してみれば・・・

2018年05月09日 18時42分57秒 | 日記
母の着物姿を思い出していると

どんどんその頃のことが蘇ってくる

私が中学1年の4月の始業式の日に

同じ校区内ではあるけれど お風呂のない平屋の長屋から

お風呂のある2階建ての長屋に引っ越したので

私の記憶は 生まれてから昭和42年の小学卒業までの時代と

それ以降とにはっきりと分けられる

これって 案外便利なわけ(*‘∀‘)


父は大正14年生まれ

昭和の年数と同じ年を重ねたのでこれも便利

生きていれば今93歳なので 今年は昭和93年なのです!

という事は 昭和20年に二十歳ですわな~

これってどういうことかと言うと

終戦の8月以前の生まれ月なので

軍隊への徴兵 戦争体験がある訳です



子どものころ その話をよく聴かされましたわ

初年兵の訓練だけ受けて戦地に行くことも無く終戦だったので

まぁ命拾いしたことは 何よりでしたが

その訓練というのが えげつなかったそうです

ま、そもそも戦争に人権なんてないんですからね

今思えば、

「戦争に人権などないって」ことを繰り返し聞かされてた様なものだと思います



お風呂がなかった長屋なんですが

家の前が銭湯でした

その頃は下町のほとんどの家が内湯など無い時代でしたので

それも ど~って思ったことはないです

裏庭で、盥(たらい)にお湯を入れて行水をした思い出もあるし(*´з`)


小学校に入った頃 電気洗濯機なるものが登場して

それまでその盥で洗濯をして 手で布をぎゅうぎゅう絞っていた母親は

大喜びしていた・・・ハズ

私も喜んで ローラーをグルグル回して洗濯物の水気を切っていた



こんな洗濯機 

ローラーで洗濯物をペッちゃんこにして水けを絞るわけやけど

出て行った布が(特に紐類)またぐるっと回って戻ってきてしまい

うんともすんとも動かなくなって

母親に助けを求めたのは一度や二度ではなかったように 思う

大阪市内でしたが 家の前の道は舗装されてなくて 

雨が降れば水たまり

雨降りに長靴は必須条件やったな

そういえば 高校も駅からの道が舗装されていなくて

高校入学の時 親が長靴いるかな?って言ったのを

覚えてるわ

妙なこと 覚えてるもんやね

結局 多分 長靴を履いて登校したことはなかったと思うけど(笑)


両親は二人で文房具屋を市場の中で営んでいたので

私はいわゆる 鍵っ子

2歳年上の兄が居てるのですがね

これが曲者(笑)


悪いんやなくて 勉強好きな優等生なんで

私のアホが目立つ

いやアホが目立つだけでは無くて

親が居なくて のびのび出来るはずの放課後の時間

兄が 「またテレビ見てる!宿題したんか!」

などと煩いことこの上ない

しかもなんだかんだとパシリに使われたうえに

泣かされるし(/ω\)


今はえらっそうな顔して 仕事してるみたいやけど

(仕事してるとこ見たことはないけど)

あいつは 妹いじめやってんで~

それを知ってるのは・・・私だけか・・・



思い出せばキリがないな

63年分やし(笑)




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4 コメント

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Unknown (ゆきちゃん)
2018-05-10 18:04:02
さんざん妹をパシリに使っていたお兄さんも、その
優等生ぶりを発揮して、ご両親も自慢したくなる
立派なお仕事されて・・・
(親ってなぜかソレを自慢しちゃうんだよね)

うちの旦那さん、3兄姉の末っ子で、ご近所さんも
突き放しちゃうよなクソガキだったそうですが、
就職した途端に豹変
自慢していたそうです

そして笑っちゃったのが、震災前までお隣の家に
いた同級生のお母さんが、たまたま法事の際に
お世話になった旅館の仲居さんをしていたので
すが「あらぁ~悪玉菌さん立派になっちゃってぇ~。おば
ちゃんはね、小さいころから悪玉ちゃんは
立派な大人になるって思っていたのよ」と。

私は知らなかったのですが、後に本人に聞いた
らば「うちの息子が馬鹿になるから近づかない
で」と言われていたそうです。

その息子さん(同級生だわね)、大学出て地元
の大企業へ就職したのに、今や引きこもりで、
身体は横綱
(おばさんはその話は教えてくれませんでしたが、
そこにいた親せきが言っていた)

私、それを聞いたときに、自分の同級生が立派に
働いていて、東京に家を買って、美人の奥さん
をもらって(おばさんが言ってくれた話だけど)
息子と比較したら、眩しくなっちゃったと思う。

きっと、たぶん・・・
私が母親でも同じだと・・・

その時に親孝行って言うのは、立派な大学へ
行くとか、大企業に就職するとかじゃなくて、
元気でいてくれることなんじゃないかな~と。
でも、親ってのも勝手で欲張っちゃうんだよね

そのおばちゃん家、同級生の息子と姉(こちら
はうちの姉と同級生ですが現在教師らしい)
が小学校低学年の時にご主人を病気で亡くし、
女手一人で二人のお子さんを育ててきたそう。

うちの母より若く見えた
めっちゃ綺麗なオバハンだった
うちの姉は「若くして旦那を亡くすと、奥さんは
若くなる」って意味不明なコトを言っていたけど

大学まで出してくれたお母さんに、育ててくれた
お母さんに感謝しろよと、その息子さんに言いたくなったよ

ちょっと悲しくなった

おっと
ひめさんの記事とずれてしまった
旦那も小さいころは長屋だったそうで、お風呂が
なかったそうですわ

今や自動洗濯機でお風呂もシャワーもあって、
なんだか恵まれているね
今の日本は戦争もないので幸せ過ぎてるかな
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Unknown (ゆきちゃんへ)
2018-05-12 11:06:58
子どもが子どもの間は
お勉強ができると自慢で自慢で(笑)
子どもも「自分は賢いんだ!だから偉いんだ!」と勘違いして
大変な大人になってしまったりする

または 良くできた子は世界を駆け回って仕事をするので 
親の近くはおろか 日本にもいない
ちょっとできた子は日本を駆け回って仕事をするんで
地元にはいない

いい加減な子は転勤もあまりないところで仕事をするんで
親元近くに住んで親孝行したりする

その良い加減ってのが ほんと難しいけどね

ダンナが居なくて 一人で子育てしてる人は
やっぱりハリを持ってるんで 若く見えるんだろうか
ただし、生活に疲れてしまったら老けてしまうし
やっぱりその本人次第という事なんだろうね~

子どもって育ててもらった恩もあるだろうけど
恩を感じてもらうほどの事 していない親もいてるし
私だってかなり腹立ちまぎれの怒りに任せた叱り方をしたんで・・・
子どもに悪かったな~って思うわ

ほんと 今の日本は平和すぎて平和ボケしてるかもね
なんか悲惨な事件は日本の貧しい頃より
増えてるような気がするわ
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Unknown (ミロク)
2018-05-25 13:50:01
私も今の家を買って越してくるまではお風呂のないアパートでした( ̄∀ ̄)
歩いて五分もしない所に銭湯があり、そのお湯が熱くて。
母も私も熱いのが苦手でたまに自転車でもう少し先の違う銭湯までいきました。
良い思い出( ´∀`)

洗濯機!
サザエさんの漫画でよく見ましたよ〜♪
くるくる回して脱水が面白そうでやってみたいなといまでも思います笑

大正 昭和 平成 次は何になるのかなぁ〜
人生三つめの年号!頑張って長生きすれば四つめも見られるかな笑笑
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Unknown (ミロクさんへ)
2018-05-26 15:29:39
 そうそう昔の銭湯のお湯って熱いんですよ💦
そう~と入ってるのに 近くをじゃぶじゃぶされると
悲鳴上げたくなります(笑)

サザエさんの漫画に出てましたか 洗濯機(^^♪
子どもの時はホントに面白くてね
お手伝いは嫌いやけど これだけは手伝ってた記憶があります

次の年号はなんでしょうね~
ミロクさんはお若いんでその次もきっと大丈夫でしょ

私は5歳ほど年上なんで 次で終わりかな~(笑)
・・・どっこいどっこいかも?って
なにがどっこいどっこいやねん(笑)


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