青葉町に在るから 青葉鮨
何と明快な店名ではありませんかw
思い起こせば〇〇年前
母校である勝田第一中学校への往き帰り
その道すがらにあったお鮨屋さん
そして、あれは確か〇〇年前
茨城高専の二年生 17歳の秋だったと記憶しております
時給200円程のアルバイトで稼いだお金を握りしめ、鮨屋デビューを果たしたお店
かあちゃん
お、おいら・・・
おいら、今日から大人だよ (/Д`)・゜・
そんな、訳ありで想い出の詰まったお店
それがこちらの 青葉鮨 さんなのであります
当時、この辺りは日立製作所の社宅やアパートが林立し、結構賑やかだった通りですが今は昔
どでか握りで有名だった 柳寿司 さんも店を閉められ、寂しい通りになってしまいました(涙
そんなこんなで懐かしさに駆り立てられ、〇〇年振りに入ってみることに
って言うか、ランチの看板に惹かれて・・・ ですかねw
お店に入ってたちまちは、小さなカウンターと小上り二卓
あの時座ったカウンターって、こんな風だったんですねぇ
覚えちゃいないけど懐かしいっす
で、こちらが配膳された ランチ握り になります
小付?のモヤシ炒め付(爆
潔い典型的な握り
当時と変わらない、大振りな田舎寿司
そんな鮨を食べながら、〇〇年前も1,000円だったのを思い出しました
そして今も1,000円
しかも税込みって・・・ おかしなものです
鮪のトロと赤身 平目の昆布〆 海老 玉子 イクラ軍艦
乾瓢巻きと鉄火巻
後から出てきたなめこ汁 は、大将と話が弾んで撮り忘れ _| ̄|○
東京の一流店で修業された息子さんも、一度は帰って来てお店を手伝ったそうですが、あまりにも閑散としてしまったこの地に見切りをつけ、跡を継ぐのは諦めたそうです
日立製作所で潤い、そしてさびれてしまった街
悲しいかな、時代の変化ばかりはどうにもなりませんね
何はともあれ、無骨なお寿司
懐かしく、かつ美味しくいただきました
ごちそうさまでした
何と明快な店名ではありませんかw
思い起こせば〇〇年前
母校である勝田第一中学校への往き帰り
その道すがらにあったお鮨屋さん
そして、あれは確か〇〇年前
茨城高専の二年生 17歳の秋だったと記憶しております
時給200円程のアルバイトで稼いだお金を握りしめ、鮨屋デビューを果たしたお店
かあちゃん
お、おいら・・・
おいら、今日から大人だよ (/Д`)・゜・
そんな、訳ありで想い出の詰まったお店
それがこちらの 青葉鮨 さんなのであります
当時、この辺りは日立製作所の社宅やアパートが林立し、結構賑やかだった通りですが今は昔
どでか握りで有名だった 柳寿司 さんも店を閉められ、寂しい通りになってしまいました(涙
そんなこんなで懐かしさに駆り立てられ、〇〇年振りに入ってみることに
って言うか、ランチの看板に惹かれて・・・ ですかねw
お店に入ってたちまちは、小さなカウンターと小上り二卓
あの時座ったカウンターって、こんな風だったんですねぇ
覚えちゃいないけど懐かしいっす
で、こちらが配膳された ランチ握り になります
小付?のモヤシ炒め付(爆
潔い典型的な握り
当時と変わらない、大振りな田舎寿司
そんな鮨を食べながら、〇〇年前も1,000円だったのを思い出しました
そして今も1,000円
しかも税込みって・・・ おかしなものです
鮪のトロと赤身 平目の昆布〆 海老 玉子 イクラ軍艦
乾瓢巻きと鉄火巻
後から出てきたなめこ汁 は、大将と話が弾んで撮り忘れ _| ̄|○
東京の一流店で修業された息子さんも、一度は帰って来てお店を手伝ったそうですが、あまりにも閑散としてしまったこの地に見切りをつけ、跡を継ぐのは諦めたそうです
日立製作所で潤い、そしてさびれてしまった街
悲しいかな、時代の変化ばかりはどうにもなりませんね
何はともあれ、無骨なお寿司
懐かしく、かつ美味しくいただきました
ごちそうさまでした