散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
響かぬコトバ咲いている
顔の半分マスクで隠し自己を見失う
「実はどこだ」
恒例のというか、年に一度の決算月(あたりまえやんかぁ~)で、職員室(税理士さんの部屋)へいくことに。
昨年もちょうど今頃だったな。はやい、はやい、1年っていうのはあっという間だ。とくにこの1年は、スローとハイスピードがまぜこぜにされたような、不思議な感覚だった。
それに被さるように今回のコロナウイルスだ。不思議感覚に引きこもりワールドが重なり、するすると手のひらからこぼれ落ちるように過ぎていく時間の後ろ姿を見送る毎日である。不安に縛られずに過ごした日々をなつかしく思う。
※チャレンジごはん:タケノコスパゲティ(和風)。醤油味はわかる。飲み込みも良くなってはきている(60%)
そうだ、決算だった。昼から久しぶりに電車に乗りますよ。通勤時間を避けて、余裕を持って行こうと思っている。どれくらいの人が移動しているのだろう。みんなマスクをどこで手に入れているのだろう。ランチ営業はしているのかな。喫茶店やカフェは通常通りやっているのかな。引きこもっているので外のことが気になる。
移動と言えば、来週は病院だ(それも院内4カ所をまわることになる)。院内感染とか言われているので、それも気になる。まったく状況が見えない。見えないというのは怖いよなぁ。
病院は、そのなかに入ってしまうと出られないからね。待ち時間もながいし、密着度も高いので、やや緊張するな(病院で働いている人の緊張感って、想像を超えるのだろな)。
しかし、ずっと引きこもっていることは不可能だということだよ。どうしても先延ばしできない用事や仕事があるもんなぁ。仕事をしないと生活ができない。個人商店の弱みだと言われたらそうだけど、すべての人が大会社に勤めているわけでも、公務員でもないのだ。
生活をリアルに考えると、「つながろう」だとか「がんばろう」、「いまはがまんしよう」や、「いまは文句を言うときではない」、なんていう言葉が虚構に感じてします(天邪鬼なのですんません)。それらの言葉の皮をむいたら、ひとつも実は入っていなかった・・・からっぽだった、なんてね。いろんな人の発信するコトバをしっかり見ております。
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「実はどこだ」
恒例のというか、年に一度の決算月(あたりまえやんかぁ~)で、職員室(税理士さんの部屋)へいくことに。
昨年もちょうど今頃だったな。はやい、はやい、1年っていうのはあっという間だ。とくにこの1年は、スローとハイスピードがまぜこぜにされたような、不思議な感覚だった。
それに被さるように今回のコロナウイルスだ。不思議感覚に引きこもりワールドが重なり、するすると手のひらからこぼれ落ちるように過ぎていく時間の後ろ姿を見送る毎日である。不安に縛られずに過ごした日々をなつかしく思う。
※チャレンジごはん:タケノコスパゲティ(和風)。醤油味はわかる。飲み込みも良くなってはきている(60%)
そうだ、決算だった。昼から久しぶりに電車に乗りますよ。通勤時間を避けて、余裕を持って行こうと思っている。どれくらいの人が移動しているのだろう。みんなマスクをどこで手に入れているのだろう。ランチ営業はしているのかな。喫茶店やカフェは通常通りやっているのかな。引きこもっているので外のことが気になる。
移動と言えば、来週は病院だ(それも院内4カ所をまわることになる)。院内感染とか言われているので、それも気になる。まったく状況が見えない。見えないというのは怖いよなぁ。
病院は、そのなかに入ってしまうと出られないからね。待ち時間もながいし、密着度も高いので、やや緊張するな(病院で働いている人の緊張感って、想像を超えるのだろな)。
しかし、ずっと引きこもっていることは不可能だということだよ。どうしても先延ばしできない用事や仕事があるもんなぁ。仕事をしないと生活ができない。個人商店の弱みだと言われたらそうだけど、すべての人が大会社に勤めているわけでも、公務員でもないのだ。
生活をリアルに考えると、「つながろう」だとか「がんばろう」、「いまはがまんしよう」や、「いまは文句を言うときではない」、なんていう言葉が虚構に感じてします(天邪鬼なのですんません)。それらの言葉の皮をむいたら、ひとつも実は入っていなかった・・・からっぽだった、なんてね。いろんな人の発信するコトバをしっかり見ております。
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