日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

瀧廉太郎を知る人は少なくなりました

2024年06月29日 06時15分32秒 | Weblog
今朝の信州は気温が17度曇り空でお天道様はまだお休み
中です。予報では梅雨の晴れ間の予報です。
今朝のラジオで今日は何の日の中で、瀧廉太郎の忌日
との事です。
瀧廉太郎(1879-1903)23歳10カ月の生涯は、1879年
明治12年8月24日、父瀧吉弘と母正子の長男として東京
市芝区南佐久間町2丁目18番地町(現東京都港区西新橋
2-6)で生まれた。瀧家は江戸時代、日出藩(ひじはん)の
家老職をつとめた上級武士の家柄であった。父は大蔵省
の官僚となったが、内務省に転じて大久保利通や伊藤
博文らのもとで内務官僚として勤めた。瀧家は父母の他
に祖母ミチ、2人の姉の利恵(長女)と順(次女)、従兄
の大吉に瀧廉太郎(長男)の7人であった。1882年、父
吉弘が地方官、つまり神奈川少書記官となったため、
一家は横浜の官舎に入る。後に富山県富山市、そして
大分県竹田市などに移り住んだ。そのため廉太郎も生
後間もなくから家族とともに各地を回ることとなった
瀧家の横浜での官舎の隣は、親しくしていた通訳官松川
というカトリックの家族が住んでいた。彼らは山下町の
カトリック教会に通っていた。廉太郎もこの家庭を通
して初めてキリスト教との出会いをしたと思われる。
2人の姉はヴァイオリンやアコーディオンを習っていた
し、姉がもっていたヴァイオリンに大きな興味を示し、
手にとって弾いたともいわれている。
明治19年4月、廉太郎は神奈川県師範学校附属小学校に
入学した。同年9月に父の赴任のため富山に一家は移る。
その後、家族は郷里大分に移るが、廉太郎は東京に残り
同校を明治23年に卒業した。卒業時にはピアノを演奏し
たと伝えられている。
その後、廉太郎は郷里大分へ帰った、大分県尋常師範
学校附属小学校の高等科に入学したが、父の転勤で直入
郡(現竹田市)の直入郡高等小学校へ転校する。ここで
2年3ヶ月通った。旧岡藩の藩校由学館跡に建てられた
学校だった。明治27年4月、同校を卒業し、将来の音楽
教師を夢見て東京へ旅立つことになる。麹町区平河町
3-17(現千代田区平河町1-5)の従兄大吉宅に住み、同
年9月、高等師範学校附属音楽学校=東京音楽学校
⇒現東京芸術大学音楽部2の予科に最年少の16歳で仮
入学し、その12月に正式入学が許可された。明治31年
年7月には、専修部(本科)へ進み、本科専修部を主席
で卒業した。卒業生総代として答辞を述べた。特にピア
ノと和声学にすぐれた成績であった。1898年9月には
研究科に入学し、2年に進学すると音楽学校の嘱託教師
を任じられ、ピアノ教師としての務めながら、自分の
勉強をする。こうして瀧廉太郎は作曲とピアノ演奏の
才能を伸ばしていく。廉太郎は明治32年より麹町区上二
番町に住んだ。
東京音楽学校卒業(1899年)からドイツ留学中に瀧廉太
郎の多くの代表作が生まれた。現在確認されている作品
34曲のうち24曲がドイツへ留学するまでの1年半に世に
出された。
1900年(明治33年)に歌曲集「四季」が出版された。
「花」=女声二部合唱あるいは二重唱+ピアノ、「納涼」
「月」「雪」また(明治34年)3月に出版された「幼稚
園唱歌」には廉太郎の曲は「お正月」、「鳩ぽっぽ」、
「雪やこんこん」などが含まれる。日本の最も古い童謡
作品として意義深いものであろう。
他に1901年(明治34年)3月に出版された文部省編纂
には唱歌」「荒城の月」「箱根八里」「豊太閤」の廉太郎
の3曲が収められている。
日本の教育歌曲、の重要な先駆者であり、足跡を残した
作曲家でした。
この年1901年4月(明治34年)4月6日、文部省外国
留学生としてヨーロッパ音楽留学をした。5月18日に
ドイツ、ベルリンに到着。ライプツィヒ音楽院に入学
するがわずか5か月後の11月に肺結核を発病し帰国した。
帰国後は、東京の従兄の大吉宅で療養をしていたが、
大吉が40歳の若さで他界したため、1902年(明治35年)
年11月、父の故郷である大分市府内町に居を構えていた
父母や兄弟の住む家で療養することなる。だが、1903年
(明治36年)6月29日午後5時に大分市稲荷町の自宅
で死去した。享年23歳10ヶ月の惜しまれる死であった。
代表曲としては
荒城の月 七五調の歌詞と西洋音楽のメロディが融合し
     た滝廉太郎の名曲
箱根八里 箱根の山は天下の嶮(けん) 函谷關(かん
     こくかん)も ものならず
花 (春のうららの隅田川)組歌「四季」における第1曲
月 (秋の月)組歌「四季」における第3曲。
      作詞も瀧廉太郎が手掛けた。
お正月  もういくつねるとお正月♪  など
岡城のある竹田市には何度も、滝廉太郎の家などを訪れ
竹の灯篭祭などを見学してた思い出が懐かしい。最近は
忘れつつある 滝廉太郎を 忘れずに借り物情報でアップ
して見ました。

  

都合により本日もコメント欄をお休みします。
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