本日新宿にて多少婦人第七回公演「あひ」の反省会と清算会が行われます。
その前に劇作演出としての反省を。
アンケート、ネットで色々な方の感想を見させて頂きました。感想を頂けること自体ありがたいことです。
「賛否両論」という言葉がぴったりでしょうか。はまる人ははまる的な。不思議空間みたいな。
自作の有り方としては「複層性」を考えています。喜劇的要素と悲劇的要素を融合させ複雑な心境に陥ってもらうというものです。モンタージュ的な要素で新たな価値を見出して頂くという一面もあり、また喜劇をより、悲劇をより強調するためのコントラストとしての融合です。そして複雑な心境、良い意味での「なんだこれ」という思考はその後、物語に能動的に介入していくきっかけになるのではとも思ううのです。基本的に「観られる」という受身の芸術である演劇にどのようにしたら能動的に観劇して貰えるか、日々考えております。
役者の演技レベルも賭、幸子夫妻、弁護士の「静」的演技、調停委員の「動」的演技、葦ガールの「抜いた」演技の三タイプを同時に舞台上に出すことで「差」が出ると考えています。オムニバスで更にオムニバスをやってしまうといった感じでしょうか。
「人間は考える葦である」という言葉通り、「考える事」に関心、興味を持っています。今回の確率の話も物語性を廃して(表面上は)までも数字にこだわったのはそのためです。
と、いいつつも、やはり観客の皆様に好感を持って頂いての表現です。反省を踏まえ皆様に気に入られるものを作りたいと思います。「不思議だけど面白い」みたいな。
もう少し振り返りたいと思います。
その前に劇作演出としての反省を。
アンケート、ネットで色々な方の感想を見させて頂きました。感想を頂けること自体ありがたいことです。
「賛否両論」という言葉がぴったりでしょうか。はまる人ははまる的な。不思議空間みたいな。
自作の有り方としては「複層性」を考えています。喜劇的要素と悲劇的要素を融合させ複雑な心境に陥ってもらうというものです。モンタージュ的な要素で新たな価値を見出して頂くという一面もあり、また喜劇をより、悲劇をより強調するためのコントラストとしての融合です。そして複雑な心境、良い意味での「なんだこれ」という思考はその後、物語に能動的に介入していくきっかけになるのではとも思ううのです。基本的に「観られる」という受身の芸術である演劇にどのようにしたら能動的に観劇して貰えるか、日々考えております。
役者の演技レベルも賭、幸子夫妻、弁護士の「静」的演技、調停委員の「動」的演技、葦ガールの「抜いた」演技の三タイプを同時に舞台上に出すことで「差」が出ると考えています。オムニバスで更にオムニバスをやってしまうといった感じでしょうか。
「人間は考える葦である」という言葉通り、「考える事」に関心、興味を持っています。今回の確率の話も物語性を廃して(表面上は)までも数字にこだわったのはそのためです。
と、いいつつも、やはり観客の皆様に好感を持って頂いての表現です。反省を踏まえ皆様に気に入られるものを作りたいと思います。「不思議だけど面白い」みたいな。
もう少し振り返りたいと思います。