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八ヶ岳キリスト教会 牧師ファミリーのブログ

〒408-0012
山梨県北杜市高根町箕輪3219-2

野菜たくさん、恵み沢山の夏です。

2012年08月03日 10時51分39秒 | 証し

こんにちは、おげんきですか。

このところ毎日、あついですね。お互い夏バテと熱中症には気をつけましょうね。

今、我が家」は野菜作りの達人の方々から、沢山の野菜をいただいておりまし

て採りたて野菜どっさり状態でうれしく、おいしく又ヘルシーな食生活を送って

おります。野菜と果物がおいしい夏、山梨に嫁に来てよかったと一番思う時です。

頂いた大好きな桃にガブリとかぶりついている時の幸せは言葉に表せません。

台所にたつ時間も楽しく、頂いた大切な野菜を一つも無駄なく使えますように

と、祈りつつお料理を作っていますと、美味しい料理が出来るのは驚きです。

台所にも主はいて下さり、料理を作ることさえ助けてくださっている事を感謝

します。

 人生の中に、右へ行くべきか左へ行くべきか思い悩んでいる時も聖書を開く

主は必ず答えをくださいます。最も必要な答えを聖書の言葉をもって導いて

くださいます。本当に不思議です。神が生きておられ私たち一人一人にいつも

目をとめておられる事を日々感じます。

 主人も野菜を作っており「オレが作っつた野菜だ」と得意顔でトマトや玉ねぎ

小松菜などを収穫し持ってきます。ところが主人の作った野菜には嬉しい中にも

試練が、、、、、。それはおいしい野菜と一緒にイモムシや毛虫我が家へ来てし

まうこともあり「ギャー」と言う私の悲鳴が時々我が家の中に響きます。

色んな出来事が日々ありますが、すべてを感謝し楽しんで生きる、そのように

して歩んでいます。8月は2度、高知へ帰るぜよー。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。」

                        Ⅰテサロニケ5;16~18

                                  トマトでした。


神様の下さる物に無駄はない。

2012年04月28日 10時21分05秒 | 証し

今から3年程前になるでしょうか。私たちの教会の賛美を手伝って下さる方がいる。彼が私に

ギターを下さった。聞けば二十数万円するものだそうだ。分不相応な物だ。彼はこのギターを

賛美の為だけに用いて来たとの事。これを聞けば他に用いる事は出来ない。私も礼拝でこの

ギターを用いている。神が彼を通してこんな高価な物を下さったのなら用いなければ申し訳な

いと思い講壇でギターを弾いている。残念な事に、この姿を見て2度と教会に来なくなった人

もいるようだ。最近、ギターが重くなった。でも、ダビデの竪琴のごとく、弾き続けたいと思う。

ギターは決して上手ではない。しかし、心から主に賛美をささげている。

さて、もう一つ、彼は置き土産をくださった。カフオーンと言う楽器だ。彼が下さって約1年、

ほとんど、使われず彼には申し訳ない思いでいっぱいであった。先週の木曜の「みつばさ」

と言う集会で初めて威力を発揮した。今後木曜日、日曜日の午後には威力を発揮するように

思う。

                                      田舎伝道者 中山


すぐそばにある恵み

2012年04月25日 14時49分41秒 | 証し

          お元気ですか。

私は先日、我が家から車で3分のところにある<わに塚の桜>を見に行ってきました。夜、

ライトアップされた桜は見事な美しさでした。多くのアマチュアカメラマンと桜の美しさに感動

している大勢の人々でにぎわっていました。県外から多くの人々が来られているのには驚き

ました。我が家から3分の所に、こんな有名な桜があったとは、と改めて思いました。主人と

私とクロベルのくつろいだ一時でした。

近くにある恵み、すぐそばにある祝福に、つい気付かない事ありますね。

私自身も共にいてくださる主イエス様の存在をこのところ忘れてしまっており、なぜ、こんな

に心がすさんでしまっているのかと思う、なさけない今日この頃でした。

忙しさのあまり突っ走っていてヘトヘトなっていたのかな?

しかし、今夜、聖書の詩篇1篇~10篇までゆっくりと読みました。そんな中、聖書の御言葉

で、いつの間にか、私の心は熱くなり、慰められ、涙がポロポロとあふれました。

こんな小さな虫けらの様な私にさえ主は心をとめてくださいました。

主イエス様から目を離してしまったら沈んでしまう私。心はさまよい自分の居場所さえ

解からなくなってしまう私です。

主イエスの所へ行くなら休む事が出来る、主イエス様こそ自分の居場所である事を深く

知りました。

主は、さ迷い沈んでいた私を力強く引き上げ、救い出して下さいました。

                                       ハレルヤ感謝します。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私の所に来なさい。

   私があなたがたを休ませてあげます。」  マタイ11章28節

                                    2012.4.20  トマト


小さいですがお証をします

2012年03月20日 02時27分08秒 | 証し

小さいことですが、お証があります。

3月17日にの切替総会があり、通常ですとそこで、新区長も決まってしまうのですが、

今回は区長がなかなか決まりませんでした。

このための各組長が選考委員となり、翌日18日、新区長の推薦(といっても実質お願い)のため、区長候補者5~6人の自宅にお願いに行きましたが、全く、けんもほろろに、断られてしまいました。

全滅でした。

 

そこで、今夜19日、選考委員であるの各組長が新区長候補者と会合を行う運びとなりました。

もし、この会合で、相手が断れば、もう、来年、ワシらのは、区長不在となってしまいます。

 

そこで、今日、病院帰りに立ち寄った温泉で湯に浸かりながら、聖書を読み、そして、3時間ほど祈り続けました。

もう、夢中で祈りました。

 

そして、今夜、区長選出の会合が持たれました。

思い空気の中、みんな、喧々諤々の議論がかわされました。

で、その結果、主の祈りが聞き入れられました。

今まで断っていた方が、新区長になってくれたのです。

かたくなな人の心を変えてくださった!

感謝です。これで、無事に、来年度の組長さんへ「区長も無事決まりました!」と清々しく引き継ぎができます。

感謝です。

 

さて、もう一つ。

これは、癒しの証しです。

家のうさぎ「うーたん」が鼻が詰まって、呼吸困難になってしまいました。

うさぎの場合、口での呼吸ができないので、鼻が詰まると、窒息して死んでしまいます。

うーたんは2日間ほど苦しそうに呼吸していました。

途中、鼻が詰まって死にそうになったので、ワシがうーたんの鼻に呼気を吹き込み、なんとか死なずに済んだのですが、鼻詰りはひどい状態でした。

そこで、ワシは、区長のことと併せてうーたんの健康についても祈りました。

 

なんと、この祈りも主は叶えて下さいました。

うーたんは、今、元気でワシの横に寝っ転がっています。

昨日や一昨日の死にそうな状態が嘘のように、癒されました。

 

本当に、神様に感謝!感謝!

ハレルヤ!です。

 

 

2012年3月20日 SAK


主の憐れみ

2011年12月04日 13時26分18秒 | 証し

聖書でイエス様はこんなことを語ってくれる。

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断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。
彼らは断食をしていることを人に見せようとして、
自分の顔を見苦しくするのである。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは断食をしていることが人に知れないで、
隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。
「マタイ6:16-18」
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クリスチャンにとって断食ってのはいわゆる「断食祈祷」といって、誓願等の為に食べないで(水は飲むけど)祈り、祈祷しつづけること。
神に対しての必死さがハンパ無い位に気合いの入った祈りなのであるが、ワシがこの日記で話したいのは、このことではない。

つまり、断食であれ、他の何であれ、
苦しいときにショボイ顔してんな!

ビシッと顔洗って、パサパサの髪の毛に油(整髪料)を塗ってしゃんとしろよ!
ケッパレよ!
と神が励ましてくれているような気がして好きな言葉である。

むろん、聖書的には曲解なんだろうけど、ワシにとっては心に響き、そして勇気をもらえる言葉である。

今のワシはまだケッパっている。

11月23日(勤労感謝の日)からうつ病の大波が来た。
基本的に午前中、半端ない倦怠感が自分を襲う。
そして、先週は1日中強い倦怠感で、ヒッキー状態だ!
でも、鬱の波が弱まり、身体と頭が動くとき、ミクシーで日記を書く。
こういう日記では、明るく前向きに書いている。
ケッパっているのである。

で、ケッパっているうちに、平安が訪れた。

また聖書のことば。
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こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
「マタイ5:3-4」
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こころの貧しいもの、ここでいう「こころの貧しい」とは、「こころがちっちぇーヤツ」という意味ではなく、こころが食うか食わずの乞食のように飢え乾いている状態のことである。

うつ病の波に呑まれ、心の中の安定は一気に流され、身体も心も思うようになんねー自分に悲しんでいるワシ。

こんなワシにも神の慰めはあった。

喜びが与えられたのである。
ここ数日ミクシーで書き続けている、映画「サウダーヂ」やstillichimiyaのヒップホップがワシの渇いた心を満たした。
そして、ラップを聴きながら、心の安定が湧いてきた。
ラップは「ループ」という同じリズムで繰り返す部分がある。
こういう、繰り返しのリズムを聴くと、人間の心は安定する。
そして、ラップの歌詞(リリック)もワシの心に刺さるものがあり、とても癒しになった。
さらに、ワシの好きなラッパーの方がものすごく苦悩しながら作っている新作の一部を聴くことも出来た。
気力と魂の平安をもらった感じだ。

EVISBEATS【PV】 feat. 田我流 ゆれる


そんなことがあったので、神は、ポンコツな私にすら、こういう憐れみ方、こういう癒し方をするのだなぁと驚いた。

そんで、昨日あたりから、少し元気が出てきたので、ミクシーで公開していた動画を少し改良した。
聖歌383番頌栄を高音質でアカペラなものにリニューアルした。
いや、主に導かれたことにより、することが出来たと言って良い。

これで、生きる希望が持てそうである。
主である神に感謝。
これからも祈り続けていこうと思います。
アーメン。

ミクシーで公開しているものと同じ頌栄です。
お暇だったら見ていってください。


ちち みこ みたまの


※この文書に引用されている聖書は、版権の切れた「口語訳新約聖書(1954年版)」を使いました。