高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

元合いの子サロハ、クハ47155 (蔵出し画像)

2016-03-26 00:04:15 | 旧型国電
 さて本車は元合いの子の中間車、サロハ66019であった、クハ47155(静ママ)です。なお写真を撮ったのは1976年5月(中部天竜)ですが、最晩年には運転台一番右側の窓がHゴム化されていたようです。ただこの車両とはあまりご縁がなく、多少まともに撮れた写真はこの1枚しか見つかっていません。次位にいるのはクモハ61のようです。その次はクモハ53007でしょうか?
 同僚にクハ47153がありますが、正面の窓の形状が違うので遠方から見た写真でも、正面が写っていれば区別は容易です。

 本車の車歴は一番下に掲げますが、戦時中は明石と宮原を往復していました。戦後、復活した京阪神間の急行運用に就いた後、1950年の80系転入後はモハ52と共に阪和線に移って特急運用に就きますが、なぜか1年で豊橋に左遷されてしまいます。まもなくクハ化され、その2年後には田町電車区伊東支区に移って伊東線運用に就きます。本車は47151と異なり、長いロングシートだったのですが、どの時点でロングシート化されたのやら。伊東線のような観光路線にはあまり向かないアコモですが...
 伊東線で同僚(当時は47021, 22と名乗っていました)と共に活躍した後、身延線に移ります。そこで前照灯の妻面への埋め込みが行われたはずです。13年ほど活躍した後、飯田線に移動し、久しぶりにかつての同僚と再会、最後の日々を過ごしました。



では本車の車歴です。

1937.8.26川崎車両製造(サロハ66019)→1937.9.17使用開始(大ミハ)→1942.11.5大アカ→1943.2.12大ミハ→1944.6.20座席撤去→1948.3.25大アカ→1948.3.26座席整備→1949.9.22大ミハ→1950.9.27天オト→1951.11.12静トヨ→1952.2.29改造(クハ47022 豊川分工)→1954.7.30更新修繕I(豊川分工)→1954.9東イト→1958.2.21静フシ※→1960.1改番(クハ47155)※※※→1969.4.11静ヌマ→1971.3.29静ママ※※→1978.10.19静トヨ→1979.3.9廃車

 なお、Wikipediaの記述では本車は66018と共に戦時中も貴賓車的に温存されたとありますが、『関西国電50年』にある車歴からは、形式のみは温存されていますが、座席撤去も行われ、一般車と混用されていたことが伺えます。また、1952年改造後は番号(47022)通り偶数向きだったものと推定されますが、おそらく1958年身延線転出に際して奇数向きに方向転換されたものと推定されます。これは、1957年にそれまで伊東支区にいたモハ42を静鉄、広鉄に転出させた後、田町から移動させたモハ43の大半が奇数車だったことからも伺えます。

※『鉄道ピクトリアル』バックナンバーでは田町から富士へ移ったとあるが、転出元は伊東(田町電車区伊東支区)の間違いと推定。但し転出前に一時的に田町に転入した可能性も考えられる。
※※やはり『鉄道ピクトリアル』バックナンバーでは転入先中部天竜とあるが伊那松島の間違いと推定。
※※※『旧型国電50年』データ。なお『旧型国電ガイド』では改番日を1960.1.としている。おそらく書類上は1959.12.22改番で(1959年12月22日付け工車第1528号達)、それが実際車体表記に反映されたのが1960.1.ではないか。

データ出所: 『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー『旧型国電ガイド』