高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

元流電1次車サロハだったクハ47151 (蔵出し画像)

2016-03-17 00:07:23 | 旧型国電
 一度1枚だけ写真を掲載しているのですが、再度第1次モハ52グループの元サロハ46だったクハ47151(静チウ)を紹介します。この車両はクモハ51とクハ68で揃った中部天竜機関支区の中で唯一の2扉車で、遠くから見てもその特徴ははっきり分かります。









 ううーん。4枚もあるのにすべて同じサイドからですね... ちなみに相棒は、私のメモの記録によればクモハ51046だったようです。

 では車歴を見てみましょう。

1936.5.5川崎車輌製造(サロハ46018)→1936.6.26使用開始(大ミハ)→1937.10改造(サロハ66020 吹田工 WC設置)→1943.2.12大アカ→1943.8.9改造 (サハ48036 吹田工 座席撤去)→1948.5.22座席整備→1949.8.25大ミハ→1950.9.27天オト→1954.11更新修繕I(吹田工)→1958.6.2静トヨ→1958.11.27改造(クハ47025 豊川分工)静ママ→1959.12改番(クハ47151)→1966.4.7静フシ※→1966.8.3静ママ→1967.9.26静フシ→1969.4.11静ヌマ→1972.4.20静チウ→1978.10.1静トヨ→1978.11.9廃車

 様々な変転で5回も改番(改造)を繰り返しています。飯田線に入るまではほぼ流電グループと共通ですが、クモハ52は転入当初伊那松島に入り、本車は豊橋に入っています。ここでクモハ52と分かれたせいかしばらくしてクハ化され伊那松島に移動します。さらに何度か身延線とやりとりがありこの時にトンネル断面の小ささから、ヘッドライトが妻面に埋め込まれています。ひょっとして一旦身延線に入ったものの、車両限界の関係で問題になって一旦戻され、ライト改造後また身延線に移ったのかとも推測されますが、分かりません。
 ただ5年ほどで飯田線(今度は中部天竜)に復帰し、中部天竜唯一の2扉車として最後の日々を送りました。ひょっとすると古巣の伊那松島に戻っていたらもうちょっと延命できたのでは、とも思いますが...

車歴データ出所: 『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー
※『鉄道ピクトリアル』誌には1966.4.7静トヨ→静フシとあるが、おそらく静ママ→静フシの間違いと思われる。