高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

4扉通勤車の始祖、4扉試作改造車、クハ79056 (蔵出し画像)

2016-03-01 21:10:07 | 旧型国電
 飯田線が続いていますが、久しぶりに毛色を変え片町線にいってみましょう。本車はかなりの珍車です。淀川電車区にいましたクハ79056です。本車は42系2扉車の4扉改造車の先鋒です。同時に4扉車の元祖であり、のちのモハ63や103, 201, 203, 205系、そして今日の231, 233, 321系の原点と言えます。元々は1941.3.26の塚本駅列車衝突事故で大破し休車になっていたクロハ59022を、1943年になって試作的に4扉に改造したものです。そういう意味では歴史的な車両であり、保存の対象になっても良いだけの資格があった車ですが...

 他のクロハ59は3扉化され、クハ68、クハ55になっています。改造後は一時クハ55106を名乗っていましたが、42系を組織的に4扉に改造する方針が出され、それに伴いクハ85026に改番、その後クハ79に編入されたものです。
 そもそも一番最初は4輌しか作られなかった42系サロハ46でそれがクロハ化され59に編入された車輌でしたので、かなりの複雑な改造遍歴を経てきました。
 4扉改造後は主に大ヨトで暮らしていましたが、1951年、瞬間久しぶりに大ミハに復帰し、すぐ大ヨトに戻されたのは何だったのでしょうか。また森ノ宮区開設とともに森ノ宮区に移っていますが、やはり101系の大阪環状線投入と共に、淀川に戻り、以降片町線で生涯を過ごしました。
 片町線というのは、ちょっと地味ではありましたが、城東線 (今の環状線) とともに大阪国電の元祖であり、20m級国電 (電動車) の発祥の地であり、色々歴史的な由緒深い路線だったのですね。その片町線も、起点の片町駅はなくなり、学研都市線という通称までついてすっかり変貌してしまいましたが。


(1976.3.21)



本車の履歴です。

1934.8 日本車輌製造(サロハ46014)→使用開始1934.7.20(大ミハ)→1937.8改造 (吹田工 クロハ59022)→1937.11.6大アカ→1938.10.20大ミハ→1943.3.9改造[座席撤去含む]&改番(クハ55106)→1943.3.11大ヨト→1943.8.4改番 (クハ85026)→1948.12.14座席整備→1949.6.23改番 (クハ79056)→1951.9.17大ミハ→1951.9.21大ヨト→1954.10.10更新修繕I(吹田工)→1961.4.1大モリ→1961.11.29大ヨト→1976.10.7廃車(大ヨト)

データ出所: 『関西国電50年』

 正面運転台左側窓が原型なのが良いアクセントですね。また雨樋も原型で残されました。また後ろの方、シルバーシートのマークが張られているのも見えます。本車は、以前紹介したクハ79055と共に、もっとも最後まで残った42系改造クハ79となりました。