先日半流クハ58025の後身、クハ79055の写真を掲載しましたが、こちらは平妻のクハ58の4扉化、クハ79054です(大ヨト)。両サイドを見て頂けます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e1/d5670682d1c539779e3c1c6d47c6b266.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ce/1cd920775b0b841935b8faa344a94b52.jpg)
『関西国電50年』によりますと、この車は1935.5.3に日本車輌にてクハ58024として製造され、大阪の名門、大ミハに配置されました。しかし、37.11.6に大アカに転属、しかし41.11.15に再び大ミハに復帰しています。その後、戦時中の1945.2.12に吹田工場で4扉化改造を受け、49.7.8にクハ85024に改番し、また大アカへ、すぐ同年8.7に吹田工場にて更新修繕Iを受け、そして50.11.13にはついに東海道・山陽線を離れ、大ヨトに。おそらく城東線で使われたらしく、61.6.12には大モリへ転属、しかしすぐ同年11.29に大ヨトに戻ります。その後は片町線が安住の地でしたが、ついに76.4.20に、クハ79055より一足早く廃車になってしまいました。なお最後の全般検査は73年4月吹田工場です(現車確認)。全検切れで廃車になったようです。
この写真はその最晩年の姿で、さすがにかなりくたびれた感じです。
そしてこちらは全体の写真が撮れていませんが、クハ79045(大ヨト)。室内の様子がご覧頂けます。前面の雨樋が54は原型なのに対し、こちらは更新されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/01/88ae1f4bc49c090ff3653baafae9e977.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/6a/198e6362ce1003289b4995119b23aea5.jpg)
こちらの車歴は、やはり同じソースによりますと、製造 田中車輌 (クハ58015 1933.12.26)→使用開始 34.7.30 大ミハ →四扉化改造 45.3.4 鷹取 (クハ85015) → 改番 49.7.8 (クハ79045) → 50.11.13 大ヨト →更新修繕I 54.12.11 吹田 → 廃車 75.10.24 (大ヨト) となっています。
なお、クハ58の4扉化改造には2グループあり、初期に工事を行ったドア配置を再構成したグループと、戦争末期から終戦直後、再構成を最小限に留めたグループがありましたが、前のグループについては写真が撮れませんでした。
79054はこの後者のグループの最後まで残った一台でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/e1/d5670682d1c539779e3c1c6d47c6b266.jpg)
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『関西国電50年』によりますと、この車は1935.5.3に日本車輌にてクハ58024として製造され、大阪の名門、大ミハに配置されました。しかし、37.11.6に大アカに転属、しかし41.11.15に再び大ミハに復帰しています。その後、戦時中の1945.2.12に吹田工場で4扉化改造を受け、49.7.8にクハ85024に改番し、また大アカへ、すぐ同年8.7に吹田工場にて更新修繕Iを受け、そして50.11.13にはついに東海道・山陽線を離れ、大ヨトに。おそらく城東線で使われたらしく、61.6.12には大モリへ転属、しかしすぐ同年11.29に大ヨトに戻ります。その後は片町線が安住の地でしたが、ついに76.4.20に、クハ79055より一足早く廃車になってしまいました。なお最後の全般検査は73年4月吹田工場です(現車確認)。全検切れで廃車になったようです。
この写真はその最晩年の姿で、さすがにかなりくたびれた感じです。
そしてこちらは全体の写真が撮れていませんが、クハ79045(大ヨト)。室内の様子がご覧頂けます。前面の雨樋が54は原型なのに対し、こちらは更新されています。
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こちらの車歴は、やはり同じソースによりますと、製造 田中車輌 (クハ58015 1933.12.26)→使用開始 34.7.30 大ミハ →四扉化改造 45.3.4 鷹取 (クハ85015) → 改番 49.7.8 (クハ79045) → 50.11.13 大ヨト →更新修繕I 54.12.11 吹田 → 廃車 75.10.24 (大ヨト) となっています。
なお、クハ58の4扉化改造には2グループあり、初期に工事を行ったドア配置を再構成したグループと、戦争末期から終戦直後、再構成を最小限に留めたグループがありましたが、前のグループについては写真が撮れませんでした。
79054はこの後者のグループの最後まで残った一台でした。
掲示板の方拝見しました。模型であれば確かに昔の旧国を再現できるのですが... 模型沼にはまるのは控えているところです (笑)
シルバーシートの旧国、確かに記憶にあります。昔の写真もあさってみたいと思います。
京阪神の旧型国電に関する小話なのですが、「シルバーシート」は京阪神緩行線では昭和50年10月から、片町線、阪和線では昭和51年10月から導入されており、このため、両線区の旧型国電は最後の数か月だけシルバーシートのマークが付けられていました。戦前型改造のクハ79形にも何両かシルバーシートのマークが間に合っており、確かクモハ32001にもシルバーシートのマークが付けられました。関東でも南武線と横浜線のシルバーシートが昭和52年10月1日からで、旧型国電末期に間に合っています。一方で鶴見線は旧型国電時代にはシルバーシートが間に合いませんでした。