高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

片町線クハ79054他 (蔵出し画像)

2015-12-01 01:31:00 | 旧型国電
 先日半流クハ58025の後身、クハ79055の写真を掲載しましたが、こちらは平妻のクハ58の4扉化、クハ79054です(大ヨト)。両サイドを見て頂けます。





 『関西国電50年』によりますと、この車は1935.5.3に日本車輌にてクハ58024として製造され、大阪の名門、大ミハに配置されました。しかし、37.11.6に大アカに転属、しかし41.11.15に再び大ミハに復帰しています。その後、戦時中の1945.2.12に吹田工場で4扉化改造を受け、49.7.8にクハ85024に改番し、また大アカへ、すぐ同年8.7に吹田工場にて更新修繕Iを受け、そして50.11.13にはついに東海道・山陽線を離れ、大ヨトに。おそらく城東線で使われたらしく、61.6.12には大モリへ転属、しかしすぐ同年11.29に大ヨトに戻ります。その後は片町線が安住の地でしたが、ついに76.4.20に、クハ79055より一足早く廃車になってしまいました。なお最後の全般検査は73年4月吹田工場です(現車確認)。全検切れで廃車になったようです。
 この写真はその最晩年の姿で、さすがにかなりくたびれた感じです。

 そしてこちらは全体の写真が撮れていませんが、クハ79045(大ヨト)。室内の様子がご覧頂けます。前面の雨樋が54は原型なのに対し、こちらは更新されています。





 こちらの車歴は、やはり同じソースによりますと、製造 田中車輌 (クハ58015 1933.12.26)→使用開始 34.7.30 大ミハ →四扉化改造 45.3.4 鷹取 (クハ85015) → 改番 49.7.8 (クハ79045) → 50.11.13 大ヨト →更新修繕I 54.12.11 吹田 → 廃車 75.10.24 (大ヨト) となっています。

 なお、クハ58の4扉化改造には2グループあり、初期に工事を行ったドア配置を再構成したグループと、戦争末期から終戦直後、再構成を最小限に留めたグループがありましたが、前のグループについては写真が撮れませんでした。
 79054はこの後者のグループの最後まで残った一台でした。


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2 コメント

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Unknown (管理人)
2015-12-06 01:02:02
コメントありがとうございます。

掲示板の方拝見しました。模型であれば確かに昔の旧国を再現できるのですが... 模型沼にはまるのは控えているところです (笑)

シルバーシートの旧国、確かに記憶にあります。昔の写真もあさってみたいと思います。
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Unknown (原口 悟)
2015-12-05 23:59:42
先に「我が心の飯田線掲示板」に紹介したクハ79055とともにクハ79045「そのもの」も作っていたので、同時に製作したクハ79049、クモハ32001とともに「我が心の飯田線掲示板」の方に写真を貼りますので気が向いたら見てみてください。現在トップページと写真紹介のページがアクセスできなくなっており、掲示板だけが生きている状態になっているので直接掲示板へアクセスしてください。

京阪神の旧型国電に関する小話なのですが、「シルバーシート」は京阪神緩行線では昭和50年10月から、片町線、阪和線では昭和51年10月から導入されており、このため、両線区の旧型国電は最後の数か月だけシルバーシートのマークが付けられていました。戦前型改造のクハ79形にも何両かシルバーシートのマークが間に合っており、確かクモハ32001にもシルバーシートのマークが付けられました。関東でも南武線と横浜線のシルバーシートが昭和52年10月1日からで、旧型国電末期に間に合っています。一方で鶴見線は旧型国電時代にはシルバーシートが間に合いませんでした。
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