高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

豊橋機関区にいたクエ28100 (蔵出し画像)

2016-05-01 22:17:15 | 旧型国電
 本車は、ずっと豊橋機関区の片隅にいた救援車、クエ28100です。他の車に隠れていることも多かったのですが、このときはたまたま比較的空いていたため全体を撮ることができました。もっとも天気が悪くASA400のフィルムでしかも開放で撮っているので、粒子の荒れと、コンパクトカメラのレンズの悪さがもろに出ています。

 もともとは山手線で活躍したサハ17でした。





 反対側です。この時は晴れていましたが...


 例によって本車の車歴を見てみましょう。

1927 川崎造船製造 (サハ73539) →1928.10.1 改番 (サハ36040) → (1947.3 東マト在籍) → 1953.6.1 改番 (サハ17022) → (1954.1 東イケ在籍)→1955.12.22 改造 (サハ17122) → 1961.3.24 東ヤコ→1963.11.10 静トヨ → 1964.3.30改造 (クエ28100) → 1985.2.28 廃車

 元々は1927年にサハ73539として製造された半鋼製電車の始祖、30系の中間付随車でした。東鉄に配置されたことは間違いありませんが、どの電車区だったかは分かりません。なお、1947.3当時は松戸電車区に配備され(『終戦直後 東京の電車』による)、さらにダブルルーフ屋根をシングルルーフに改造する直前(1954.1)には池袋電車区にいたことが分かっています。
 1961年におそらく101系に追われて南武線、矢向電車区に移りほどなく豊橋に移りますが、豊橋でロングシートのサハが歓迎されたとも思えませんので、おそらく救援車改造含みでの移動だったものと思われます。
 そして豊橋で80系の終焉を見送った後、85年に廃車となっています。

データ出典: 『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、『旧型国電車両台帳』、『終戦直後 東京の電車』(ないねん出版)


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2 コメント

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Unknown (原口 悟)
2016-05-04 11:36:45
モハ30系は京浜東北線に集中投入されており、京浜線以外に鋼製車が新製投入されるのはモハ30系列の後期型が中央線に配置されたのが最初になります。京浜線関係の電車区のうち、昭和5年以前に存在していたのは蒲田と東神奈川の両電車区(下十条電車区は昭和7年の京浜線延伸に伴って設置)なので、クエ28100も新製配置は両電車区のどちらかと考えられます。
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Unknown (管理人)
2016-05-09 23:28:54
やはり昭和初期、京浜線 First の原則に沿っていたのでしょうね。情報提供ありがとうございました。
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