高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

流電一族唯一2扉中間車として残ったサハ48034 (静トヨ)

2016-03-04 22:18:48 | 旧型国電
 こちらは流電一族唯一2扉中間車として残ったことで当時著名だったサハ48034(静トヨ)です。元々はサロハ66でしたが戦時中に格下げされそのまま以降サハ48として活躍しました。横須賀線でも3年あまり活躍しましたが同僚の中間車と離れてなぜか3年ほどで豊橋に「左遷」されます。ただそのまま横須賀線に残った同僚は3扉化され、そのままモハ52とは離ればなれになってしまったのに対して、本車のみは「左遷」が幸いして再び52との再開を果たします。とはいえ、他のクモハ52などとともに、80系の投入で淘汰されてしまいました。

 本当は他の流電中間車も本車と共に豊橋に移っていればかつての関西急電編成の再現もあったところですが、残念ながら...

 写真は両サイドを見て頂けます。


左豊橋方 右辰野方 (1977.12)


左辰野方 右豊橋方 (1975.5)

 上の写真、両者で2年ほどの開きがありますが、パートナーが全く違っていますね。

 それと辰野側連結面、および室内です。貫通路扉が木製なのが分かります。ちなみに貫通路を通して向こう側に見えるのは、栄光ある80系のトップナンバーであるにもかかわらず、戦前型扱いになってしまったサハ87001でした。



例によって本車の車歴です。

1937.3.27川崎車輌製造(サロハ66016)→1937.6.25使用開始(大ミハ)→1941.9.5座席撤去→1943.2.11大アカ→1943.9.14改造 (サハ48034, 吹田工)→1948.11座席整備→1949.9.14大ミハ→1950.9.13天オト→1955.1.19更新修繕I(吹田工)→1956.3.29東チタ→1959.12.23静トヨ→[77-2全検浜松工]→1978.11.28廃車
(データ出所: 『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー、一部現車確認)

関西に19年、飯田線に19年の生涯でした。


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