高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

関西省電始元の姿を留めたクモハ60151 (蔵出し画像)

2016-05-10 00:17:56 | 旧型国電
 さて、今回は初めて阪和線の旧国を本格的に紹介したいと思います。こちらは元々関西国電の始祖の1輌であった元モハ41である、クモハ60151です。浅原信彦氏の『国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編(上)』によりますと、1951年度以降、主電動機MT15をMT30に出力強化したものだそうです。但し改番は1953年でした。
 本車は元々モハ41004でしたが、初配置から、出力強化後1961年まで28年の長きにわたって淀川電車区の主でした。しかし、大阪環状線 (元城東線) の101系投入で明石に転出、さらに2年後には鳳に移動して、14年弱ほど阪和線で活躍しました。生涯大阪地域を離れずに活躍した車両です。出力強化改造の時期ははっきり分かりませんが、おそらく1951年の更新修繕の際であると推定されます。この当時は城東線の車両不足、輸送力不足が深刻だった頃で、おそらくラッシュ時などは超満員の乗客を満載していたものと思われますので、モハ41の出力不足がかなり問題視されたのでしょう。
 本車が長年住み慣れた淀川電車区を去った後、淀川区が関東から出力の低いクモハ41を迎えたのは、ちょっと皮肉ですが...
 以前触れましたが、第1次モハ41は全車奇数向き、というよりは天王寺向きと表現した方が誤解がないかと思いますが、で製造されました。そして1943年に城東線西成線直通運転開始時に、方向転換が図られたはずですが、ただ方向を転換して偶数車として使われたのか、それともジャンパ栓の配置を改造して東海道・山陽線奇数車に合わせる改造が行われたのかは不明です。ただ1953年の改番の際に奇数番号が振られていますので、すくなくとも1951年の更新修繕の際、標準的な奇数仕様に明確に改められたのでしょう。

 最晩年は阪和線の区間快速や普通として活躍しましたが、当時区間快速の天王寺-鳳間を旧型国電が時速90kmを超えるスピードでかっ飛ばす様子は圧巻でした。もちろん電動機をMT30に換装したお陰でしょうが、旧型国電の健在ぶりを強く印象づける走りでした。当時、次に戦前型旧型国電が高速で走る区間は、飯田線大嵐-水窪間の大原トンネルだったように記憶していますが、そちらではせいぜい時速80km前後までで、85kmを超えることはなかったように思います。

 運転台の窓こそHゴム化され、関西型通風機を取り付けてはいましたが、最後まで関西を離れず、関西省電始元の姿を留めた貴重な存在でした。



では、詳細な車歴データを紹介します。

1932.12.7 汽車会社東京支店製造 (モハ41004) → 1933.1.12 使用開始 (大ヨト) → 1944.6.10 座席撤去 → 1948.12.6 座席整備 → 1951.12.6 更新修繕I (吹田工) → 1953.6.1 改番 (モハ60151) → 1957.12.28 更新修繕II (吹田工) → 1961.8.30 大アカ → 1963.8.23 天オト → 1977.2.14 廃車

 大阪都市圏をずっと守った車両でしたが、生まれは東京なのですね。

資料出典: 『関西国電50年』


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