ヤップ島回想記

太平洋戦争末期のミクロネシアでの奮闘記

第17章 二度目の裸

2012-10-19 15:36:51 | 第17章 二度目の裸
この空襲で作業員が数名亡くなった。彼等を荼毘に付し埋葬するため何人かの人が協力していたがかなりの時間がかかった。そして南拓事務所の社員達はルエッチ村からウギリの鉱山の坑道へ避難することになった。出発する前に我々の宿舎が気になり見に行ったら唖然とした。大きな宿舎は完全に焼失していて、まだ布団などが黒い煙を出してくすぶっていた。黒焦げの水槽塔だけがポツンと立っていた。機銃でやられた数カ所の穴から沸騰したお湯が勢いよく吹き出していた。
 私は完全に焼失した宿舎の焼け跡に行き、寝泊まりしていた部屋のあたりで、黒焦げの私のトランクを発見した。開けてみると、ヤップ上陸以来集めた貴重な写真は全部焼けていたが、僅かに底の方に絵葉書が二三枚残っていた。中に機銃の跡で半分ちぎれたものがあったがそれだけでも大事に持ち帰ってきた。勿論布団や着るもの一切を失った。私はヤップ島上陸した時も裸一貫だったが、またしても二度目の裸となった。
 その日の昼食はどうしたのか憶えてはいないが、恐らく昼食抜きだったに違いない。我々は何も持たずに出発した。コロニアの街に着いた頃は夕暮れ時だった。コロニアの街は空襲がかなり激しかったのか、街のあちこちから煙りがでており、くすぶり続けているところが多かった。南拓事務所も南拓荘の建物も全部焼失したようだ。チャモロ湾を渡る時橋の上には青白い炎が見えた。砂糖の倉庫がやられて溶けた砂糖が道路上に流れ出し燃えている炎だ。其の上をこわごわ踏み付けながら通り過ぎる我々一行は、逃げ回った時の薄汚れた顔そのままだった。ただ少しでも早く安全な場所であるウギリの鉱山をめざした。これが戦争の現実なのだ。悲壮感一杯で我ながら情けなかった。 そして此の空襲では南拓の社員は全員無事だと聞かされていたが、東さんと和田さんが亡くなられたと知らされ、本当にお気の毒で何ともやりきれない思いだった。一同暗い想いを引きずりながら、ひたすら歩いた。
 タガレン水道の橋を渡る頃は真っ暗になった。誰かが持っていたカンテラの灯りの先導で林を抜けると、立木が一本もない平原に出た。その一本道を行くと村に入る。途中島民達も数人合流し、我々と一緒に避難することになった。たまたま顔見知りの島民も居て話が出来て心強かった。
 ようやくウギリの坑道に着いた。この時一緒だった南拓社員は所長以下かなりの人数が居たはずなのに、私は4~5人しか思い出せない。坑道の中で一夜を明かしたことだけは覚えているが、翌日から我々はどうやって過ごしたか記憶が薄れている。
 此の初めての空襲の日から数日してヤップ島に続々と日本の軍隊が上陸してきた。 これからが大変。後編に続く。