ヤップ島回想記

太平洋戦争末期のミクロネシアでの奮闘記

第4章 豪快に砕ける波

2012-10-19 15:11:56 | 第4章 豪快に砕ける波
外洋に出たのか船の揺れ方が大きくなり、大半が船酔いで半病人のようで食堂での食事も残すようになり、其のうち食べられない者も出てきた。其のころ船長命令で船客全員が交代で夜間の見張り番につくことになった。ついに私の番がきた。この体験はすさまじいものだった。船の前甲板と後甲板に何人かが2時間交代で見張りをする。双眼鏡もなにも無く自分の目だけで海を見張るのだ。外海の揺れはものすごく巨大な波が豪快に舷側に当たって砕ける。と甲板はかなりの勾配でせりあがり天まで届けと高く浮き上がり、そして一気に深く沈む。この繰り返しのピッチングはよほどの豪の者でも船酔いになることはたしかだ。はじめは海にはじき飛ばされないように身体をロープで手摺に縛り付け立っているのがやっとで、見張りどころか船酔いがひどく、ゲー、ゲーと胃の中の全部吐き出してもまだ足りなく苦しく、よだれと塩水と涙でただ茫然と手摺りにしがみついていた。その数時間は苦痛そのものだった。これも命令だと気を入れて何回か耐えているうち馴れてきた。船酔いも治り元気で見張りができるようになった。
 南に進むにつれ暑さが段々と増し船倉は蒸し風呂の状態で暑気負けする者も出てきたようだ。魚雷攻撃から守るため進路変更ジグザク進行をとっているのでまだ何日かかるのか全く不気味な航海だ。何回か避難訓練が行われた。船倉は暑いのでほとんどは下着だけで寝ているものが多く、着衣して甲板集合に何時も速く揃わず、船長に喝を入れられていた。私は何故か甲板集合ではいつも早かったので船長に誉められたことを覚えている。何時でも逃げられるように気を配っていた、つまり臆病だったのかも知れない。神戸出港してから2週間以上たってもまだ着かない。かなりの暑さだ。船酔いと暑さ負けで食事は余り進まず、しかし崎戸で買った蜜柑がまだ残っていてぽつぽつと食べていた。すっぱい夏蜜柑はあっというまに無くなり船酔いの最盛期にはこれが一番の好物で大いに助けられた。