ヤップ島回想記

太平洋戦争末期のミクロネシアでの奮闘記

第8章 島民総動員の屋根葺作業

2012-10-19 15:13:28 | 第8章 島民総動員で屋根葺作業
鼠との乱闘の翌日から私のタラング島通いが始まり、島には続々と材料が運ばれてきた。近くの村の大半の島民が召集され、大工の棟梁の新井さんが墨出し、私は材料の手配から全般の雑務と監督が仕事となった。材料は現地で伐採したパンの木や南洋杉?の丸太の根本を焼いて炭化したものを堀込む原始的な工法で建て方が行われた。堀立式だが150坪以上の規模なので台風に耐える堅固な建物にしなくてはと作業員も私も真剣に働いた。
 数日にして小屋組が完成し、いよいよ屋根を葺く日を迎えた。当日は朝から快晴だった。いつものボートで朝早く上陸すると、すでに島民達がカヌーできたらしく大勢の島民それも全部女性で若い娘や子供も多かった。 建物の広場に陣取り、腰蓑を広げて座りそれぞれ待機していた。やがて、男達はカヌーで運んできた椰子の葉を、彼女達の前に積み上げた。彼女達はそれを器用に編み始めた。50~60人の島民の女性が椰子の葉を一斉に編む姿は壮観である。私は何故か、しびれるような想いで見とれていた。やがて昼になり、彼女達も食事をすることになった。それぞれ持ってきた弁当は色々だがバナナの葉に包んだタロイモが多く、パンの実や南洋栗など、子供を連れてきた母親はパパイヤや蜜柑をおやつに持ってきていた。島民が食事をするところは見たことが無いので、余す事無くゆっくりと観察した。朝から4時ころまでにかなりの葉が編み上がった。作業は明日もあるので今日はこれまでと皆引き上げていった。
 翌日は若い娘や男達が大挙してやって来た。何となく活気に満ち、あたりは賑やかになってきた。いよいよ前日女性達が編み上げた椰子の葉で屋根を葺く日だ。男達は小屋組みの上に登つて屋根を葺く者と、下から編んだ椰子の葉を差し出す者と二手に別れて作業が進められた。女性達は昨日と同じように、賑やかにおしゃべりしたり、歌を唄いながら椰子の葉を編んでいる。編んだ椰子の葉は1枚でも重く大きい。それを2.3枚突き出すように下の者が、屋根に向かって投げ上げる。上の者はそれを受け取り、見事な手さばきで葺いてゆく。すばらしい手仕事である。村中総出で行われたこの作業は、島民の先祖伝来の知恵と技が巧みに織りなした、男女のチ-ムワークで進められてゆく様、は見ていて感銘受けた。屋根は夕暮れ迫る頃までかかって全部葺き終わった。
 タラング島は満潮時でないとボートが接岸できないのでその時間を測って街を出発しなくてはならない、だからいつも、朝が早いのだ。朝は大抵日の出前の出発だ、食堂での朝飯はコックがいつも手配が良く、特別に作ってくれた朝食と昼の弁当を持って出かけた。
 服装もこの頃は半ズボンに開襟シャツの作業服、編み上げズック靴、そして帽子にストッキング、帽子は探検隊のかぶる防暑帽と、身なりは一応南方の会社員のいでたちだ。此の服装で歩くと島民の年寄り、特に老女は最敬礼をしてくれるし、若い娘達や子供達もていねいな挨拶をしてくれるので私もお辞儀をそれなりにかえしたものだ。
 島の気候に馴れるに従い、無帽でも平気で過ごせるようになり、帽暑帽は窮屈なので止めた。 そのうちなれてくると帽子が無くても平気で過ごせるようにはなったが、そのかわり、島民からは最敬礼はしてもらえなくなった。