ヤップ島回想記

太平洋戦争末期のミクロネシアでの奮闘記

第7章 無人島に一人

2012-10-19 15:13:05 | 第7章 無人島に一人
朝早くからバリバリ働いた。其の頃夜明けの4時頃満潮時オロオの海岸から島民と一緒にボートに乗り込み、コロニアから見えるタラング島に出かけた。
 此の島はドイツ領時代から艦船が横付けできて島は平坦で何もない無人島だ。ウギリ村の銅鉱から掘り出した鉱石を此のタラング島に集積し此処から日本へ積み出すための貯鉱倉庫を作ることになった。其の計画の第一日目だ。
 此の島はドイツ領時代、難破船からヤップ人に助けられたアイルランド人船長デヴィット・オキーフェの邸宅があった。彼はパラオから石貨を船で運ぶ交換条件としてヤップにコプラを栽培させたといわれている。確かに相当昔に建てられたコンクリート造の床と壁の一部分が荒れ果てて残って居た。
 一緒に来た島民は敷地のかなり延びた草苅り作業が終わってから持参したテントの組立も終わったのでしばらく休んでから蚊帳と椰子油の缶とウスベリのござと大きなネズミ取り篭二つを置いて何故か意味ありげな顔をしてそそくさと帰っていった。彼等が帰っていってしまうと、とたんに寂しくなった。今夜此の島でたった一人で泊まるのだと、テントの中に蚊帳を吊り椰子油をカンテラに入れ野宿の準備も出来た。
 やがて日も傾いて来た。俺は何でこんな無人島に一人で泊まらなくてはならないのか不思議だった。じっとコロニアの街と海の方をしばらく見つめていた。其のとき島の中央の草むらあたりから音がして何やら動くものが居た。それらが一斉海に向かって走り出した、何とでかい鼠だ。どれも猫程のどでかい鼠が、沢山出てきたのには気味が悪く参った。海岸の方へ走って何やら盛んに食べている。ガサゴソと音をたてている、すさまじい有様だ。無人島なのでこんなに大きく成長したのだろうか、ヤップでは月夜以外の夜は闇夜になる、その日は月の出ない夜だった。
 日が沈みかけてきたのでテントに入り蚊帳の中に入る。カンテラに灯りをともし、明るくなったので本でも読んでやろうと、本を広げたその時何やら音がして、蚊帳の外ですさまじい音と共に鼠がカンテラの油を攻撃に来た。一瞬心臓が止まる思いがした。ぱっとカンテラの灯りが消え、油が流れ出し、鼠が乱入してきた。物凄い音にこちらは動転必死にそばにあった棒切れで応戦するも暗いので思うように動けない、マッチを探してやっとカンテラの芯を取り上げ点灯する。一匹は蚊帳の中に侵入したが逃げ場を失い、蚊帳の天井を駆け回るすさまじさに、破られては大変だと裾をまくり揚げ叩きだす。ようやく収まり、汗だくだ。灯りを消すと侵入してくるので油を補給して一晩中点灯したまま、鼠の襲来に備えて横になっていた。そのうち睡魔には勝てず寝てしまい、翌朝日の昇るころ目を覚ました。
 昨日テントのそばの草むらに杭打ちで仕掛けてあった鼠取り器にはたしかに大きな鼠が物凄い形相で牙をむきだし金網にかぶりついていた。相当一晩中暴れたとみえてかなりやつれていたようだが、まだ鼻息が荒くとてもそばに近寄れない程の凄さだ。昨夜の蚊帳の中で応戦した鼠がこれと同じ位の奴だったのかと、こんな奴に噛みつかれていたら大変な事になったかもしれないと、こわくなり誰かが来るまでこのままそっとしておいた。
 やがて島民たちが上陸してきた。鼠を見て、さすが日本男子と誉めてくれた、私も意地をはってこわごわ篭を岸までぶらさげて満潮の海の中へざんぶりと放り込んだ、物凄い悲鳴と暴れる音に一瞬目を伏せたが、おとなしくなったので引き上げたがやけに重く、水をたらふく飲んだまるまるの大きな鼠のことは残酷だったことと反省もしていた。