やなさん浜松E-RA日記

浜松暮らしを楽しむ人を応援する柳原新聞店社長の日記です

大原美術館

2007年05月07日 | 浜松暮らし
一年ぶりの家族旅行で倉敷に行ってきました。倉敷には二度目、でも中学か高校生の頃なのでほとんど初めて訪問する気分。

倉敷駅を南に5分位歩いたところに美観地区があります。真ん中に流れる掘割運河沿いに町家の建物が並び、美術館・旅館・食べ物屋・お土産屋などが軒を連ねます。
連休中でもあり多くの観光客、若者も中高年のグループもそれぞれ楽しそうに過ごしていました。

その美観地区の核となるのが大原美術館。

ここは昭和5年に日本で最初にできた西洋美術館ですが、倉敷紡績やクラレ・中国銀行などの社長を務めた大原孫三郎氏が日本の画家達に本格的な西洋絵画を学んでもらえるようにと画家の児島虎次郎がヨーロッパに渡り収集した作品が並びます。

エル・グレコ、ゴーギャン、ロートレック、モネ、マティスなど印象派を中心にロダンの彫刻など教科書に載るような巨匠の作品から、ウォーホール・ジャスパージョーンズなど現代の巨匠のものまで展示されています。その他にも日本の洋画家の分館、児島虎次郎記念館、エジプト美術まで、その作品の多さにも圧倒されますが、どれもそれぞれの巨匠の作品の中でも選び抜かれた名画ばかりであることに驚きます。

何より感動したことは、実業家として教育事業から農業研究、社会問題研究、社員のための病院経営など、地域社会の将来を考え、様々な貢献活動を続けた孫三郎の意思を息子の總一郎へ、そして孫にまで引き継がれ現在に至っていることです。

現在も作品収集は続けられ、美術教育普及活動など多彩な活動を続けていますが、大原美術館はもとより倉敷美観地区全体が常に進化し続けていることに、企業としての地域貢献のあり方、また街づくりの原点を見た思いがしました。

都知事選に立候補した某建築家の建てた外観ばかりで中身のない新国立美術館よりも、何倍も優れた大原美術館と美観地区に、これからも機会をつくって訪問しようと思います。

大原美術館

クラボウ 大原孫三郎


若冲と江戸絵画展

2007年05月02日 | 浜松暮らし
日曜日に愛知県美術館で開かれている、プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展を見に行きました。

プライスさんがどんな方かはわかりませんが、大学卒業記念にスポーツカーを買おうと訪れたNYで、若冲の掛け軸に出会ったことがきっかけで江戸絵画を収集するようになり、現在では若冲を中核としつつ、円山応挙や長沢芦雪など上方の画家や江戸琳派、肉筆浮世絵など数多くの画家の作品約600点を収蔵するコレクションとなったそうです。

そのうち今回の美術展では109点と見ごたえのあるものになっています。西洋人の感覚で気に入った江戸絵画ですから、華やかなものや大胆でユーモラスな作品も多く、いわゆる日本画の美術展とは少し趣が違い、それが新鮮で改めて江戸期の美術の奥深さ・幅の広さを認識させられました。

私が特に気に入ったのは若冲の「鶴図屏風」。
まるで一筆書きのようなタッチで書かれた鶴の絵の繊細さが好きです。

また芦雪の「白象黒牛図屏風」は屏風一杯に書かれた白象と背中の小さな黒鳥、対の屏風には黒牛と白い子犬の絵のバランスが素晴らしく、大胆でユニークな作品でした。

他にも見所の多い美術展ですが、江戸時代がいかに文化的に豊かだったのかがよくわかります。

若冲と江戸絵画展


八百万神的「見えざる手」

2007年05月01日 | ビジネスシーン
今日の日経、経済教室のコラムが面白かった。

テーマは
  東洋流「見えざる手」追究を

経済は予測のきかない学問だが、株式相場の変動など「神の摂理」が働いているとしか思えないときがある、アダムスミスの「見えざる手」だが、日本の場合は「一神教」の見えざる神の手というより、むしろ「八百万(やおろず)教」の神々の見えざる手ではないか。

渋沢栄一の儒教合理主義、出光佐三の仏教資本主義、松下幸之助の神道的経営哲学を例に、日本の資本主義には儒教・仏教・神道の伝統が影を落としている。

そのような背景から、西欧社会で鍛えられた契約思想は十分に育たず、「恩」や「感謝」重視する債務至上主義が生きている。

経済学においても、西欧の普遍的な価値尺度から、「二つ目の尺度」として多神教的な合意形成の価値尺度を提示しても良いのではないか。


なかなか面白い、そして日本人としては非常に納得のいく考え方だと思います。