有楽町から山手線外回りに乗って目黒で降り、恵比寿ガーデンプレース内の東京都写真美術館へ。
ここでは、"ランドスケープ"と題された、柴田敏雄さんの回顧展が行われていた。
柴田さんの作品は、自然の景色の中では未だ異質な、人間によって何らかの操作が加えられたものが写しだされている。例えば道路工事によって削られた山肌や、その山肌を崩落防止のために壁面をコンクリートで防護した斜面(法面)、ダムやそこに流れ込んだり溜まったりした水、まるで造林されたように極めて人工的に植えられている棒状の装置、古い作品では夜景の中にあるインターチェンジの料金所というものもシリーズ化されている。
これらは都会ではなく、どちらかと言うと人気の少ない山中等が対象となっている。柴田さんご自身の解説によると、建築家の作品としての建築のように観せる事を前提とした対象や、都会にあるモードに敏感な対象よりも、むしろ平均的に造られた人工物の方が時代を的確に表象し、さらに自然との対比が明確であるとも言う。なるほどな。
これらの作品は、その多くが全紙よりもはるかに大きく、A0判位にまで引き伸ばされ、そしてその大きさに見合うように隅々まではっきりとピントが合う、大判のエイト・バイ・テン(シートフィルム1枚の大きさが8×10インチサイズにもなる大型カメラ)によって撮影されている。柴田さんは4×5(シノゴ)と操作は変わらないと仰るが、とてもとても、バイテン(エイト・バイ・テンの略称)を扱うのは重くて、水平を採るのも大変。シャッター1枚切るまでの操作に、どれだけの時間がかかる事か...。
バイテンを使う事で、静かな感覚が広がっていく作品がここに出来上がる。普通、大型カメラによって撮影される風景写真は、概して絵画のような"美しい"写真であるという先入観がある。ところが柴田さんの作品は、その美しさとは異なった感覚がある。通常の風景写真ではむしろ回避される傾向にあるインフラストラクチャーが、作品の中で主たる被写体となっている。会場で観ていた方から発せられた、"変わったモノを撮るんだねえ"という感想が、僕の耳にも聞こえてきた。
この感覚を美しさと表現しにくいとするならば、それは"静謐なる動き"とでも言ったらいいだろうか。自然の中につくられた人工物とは、本来、人間が自然との間に橋渡しとして設けたものであるはずである。したがってもはやそれは、人間の側からは一旦離れており、自然の中(すなわち歴史の中の1プロセス)へと向っている。しかしながら、自然は、すぐにはそれを自分の側に受け入れてくれる訳ではない。
大正時代につくられた砂防ダムや橋梁が、ようやく自然景観の中に溶け込んできているように、一体化するにはそれ相応の時間の経過が必要なのだ。それは自然の側が人工物を自分達の文脈に受け入れ、一度手を離した人間も同じように解釈しているからだ。従って、人間の側にも自然の側にもどちらにも属さない期間においては、人工物はモンスターのような存在としてみなされてしまうのだ。
柴田さんの写真をみると、あたかもこのモンスターが自然の中へ回帰しようとし、自然の側はそれを受け入れまいとする、両者の静かな闘いが繰り広げられているようにも観える。
決して騒々しくはない。決して声高に環境保護を訴えている訳ではない。ランドスケープの形成が、人間の社会性において認識されていく姿、そしてそれを取り込んでいこうとする自然の大きな力を理解させる展示であった。
展示を観た後、館内2階にあるカフェ"シャンブルクレール"にて。
生ハムのオープンサンドとgrisetteというベルギービールを食す。ビールは例によってフルーティー。