親心、子心

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知りたいんです。前編(長文)

2005年11月16日 21時18分08秒 | 過去~徒然から~
今日の朝、仕事に出る前にニュースを見ていたら、「中国の外相が、靖国参拝=ヒトラー追悼施設参拝」という発言をしたというのが流れていたんです。
・・・まあ、ちと違うよな~と、思ってぼけっと聞いていたらコメンテーターが、「何を言っているんだ!」的な発言をしていたんです。
まあ、それは人それぞれなんで、いいんですが、その根拠として、「ニュルンベルク裁判」と「極東裁判」の違いを使っていました。
んで、ニュアンスから、「ニュルンベルク裁判」ってのは、WWⅡ後の、ドイツへの戦争法廷なんだろうって、思ったんですが、私、これ詳しく知らなかったんで、気になったんですよ。

その後、広辞林引っ張りだして見てみても、たいした差が無いんです。どちらも、平和に対する罪を裁いた国際法廷ってことぐらいしかなかったんですよね。

んで、家に帰ってきてから、ウィキペディア(WEB上百科事典(?))で検索したら、「ニュルンベルク裁判」は裁かれた人の結果とかが分かったぐらいで、ほとんどのってなかったんですよ。
ただ、「極東裁判」がのってたんで、読んでみました。
まあ、一度「靖国神社」の遊就館に行ったことがあるんで、その中で、インドの判事が言っていたことをもって「極東裁判は無効だっ!(=A級戦犯は無実だ)」的なことを書いていたから、ある程度は知っています。
新たに仕入れたことは、

1、「日本」くらいでしかその裁判の正当性を疑問視していない。
2、インドの判事は、「日本と同様に戦勝国も裁くべきだ」でなければ裁判を否定すべきだと言っている。(←裁判の公平性について)
3、国際法廷のはしりが、この極東裁判や、ニュルンベルク裁判であった。

・・・というぐらいでしょうか。

んで、やっぱり思ったんですが、極東とニュルンベルクが違うからって、
「靖国とヒトラー追悼施設が違う」
ということの説明にならないと思うんですよね。

ニュルンベルクで、ヒトラーが裁かれてない(ヒトラーは自殺したと考えられています)から違うの?
ある国の判事が、「公平でない」って言っていない(←ここは未確認です)から違うの?
・・・まだ、他の理由あるかなぁ・・・。

とりあえず、一つずつ解決して、前者の場合、結局戦争を指導した(已むに已まれない理由があったとしても)人物(達)であることには変わりが無いので、その戦争によって被害をこうむった人々にとって、そこへ参られることは苦痛だと思っても致し方ないと思う。

後者の場合、資料が無いのでどうにも言えないけど、公平でないからといって、その人たちの「罪が無くなる」わけではない。

証拠が無いから、本来不起訴という裁判の原則があるのは分かる。
でも、指導的立場にあったことは確かで、その罪は消えない。
ということは、そういう、「犯罪者」にたいして、国家を代表するような人物が、敬意を表していたら、やっぱりいやだと思うんじゃないかなぁ、普通。(もちろん犯罪者の遺族の方が参るのは当たり前だと思うけど。)

まあ、ここまでで、そのコメンテーターについて語るのは終わりにして、靖国の話が出ているんでそっちに移ります。(ニュルンベルクについて何か知っている方、あるいはこのコメンテーターの言いたいことが分かる方は教えてください。お願いします。)

んでね、いつも靖国の問題を語るときに思うんだけど、何で首相は「靖国にこだわる」のかよくわかんないんですよ。

いつも首相が参拝するのは、「国のために死なれた方々をおまいりするため」だとか、そういうことをいうじゃないですか。
でもね、靖国に行けばすぐ分かるんですけど、あそこは戦争で死んだ人を祀ってるんじゃなくて、「天皇のために死んだ人を祀っているところ」なんですよ。

戊辰戦争の時の幕府側が(例えば会津の白虎隊とかがそうなはず)祀られていないってことは有名だし、もちろんWWⅡで死んだ、一般人(ただ原爆で死んだ人とか、東京大空襲で死んだ人とか)は祀られていないところなんです。

だから、首相が「国=天皇」と発言するのならまだ分かるんですけど、現在の憲法の規定する「国」のために死んだ人というのなら、それはイコール国民であって、「天皇のために死んだ人々を祀る」靖国にいく必然性はほとんど無いわけです。(一応、戦争で死んだのは間違いないので、ほとんどとしました。)

だから、政教分離とか言う以前に、「自分の言っていることと違うことをしている」んですよね、小泉さんは。
まあ、あの人の場合、言葉を遊びにしか使わないんで、どうだっていいんでしょうが・・・。(物書きとしては非常に腹たっています。言葉に重きを置かないわけですから。ついでに言うと、一個人としても、言葉に重きを置かない政治家は要らないと思っています。)

日本の神道という宗教を考える限り、靖国神社というものが存在することはかまわないと思います。
なぜなら、神道は「八百万の神」を祀るものですから、たとえ犯罪者であってもまつってかまわないんです。(ここについて話したいことはあります。「歴史」で書けたらいいなあ。)
んで、本来WWⅡの際、日本の代表は間違いなく天皇であったわけで、彼が死刑になる「代わり」に死んだわけだから、そりゃあ、靖国としてはA級戦犯を祀らないわけにはいかないでしょう。
だってモロに天皇の身代わりだもん。
たとえ世界的な犯罪者でも、「天皇のために死んだ」訳ですから、十分靖国で祀る資格があるわけです。(そういう意味でも、個人的には靖国神社の存在を嫌悪しています。私は。)

しかし、あらためていいますが靖国に「国のために死んだ人たちのため」といって参拝するのは意味がほとんど無いんですよ。
だから、はっきり言えば「そのため」にいくべき所は、どこにも無いんです。

・・・てなところで、話が長くなりそうなんで次回にしたいと思います。
続きは必ず明日書きますんでどうか続けてご覧ください。よろしくお願いします・・・。(文章を短く書く練習しないとなぁ・・・。)

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