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集団的自衛権とドラえもん

2014年07月21日 21時42分32秒 | 過去~徒然から~
先日、集団的自衛権の話を書いてから、だいぶたった。
そうこうしているうちに、「ドラえもん」でもって、集団的自衛権を説明する高校教師と弁護士のニュースを目にした。
自分もやってみようと思う。
ジャイアン=アメリカ
のび太=日本
・・・でいいとする。

とすれば、日本が集団的自衛権を認めたということは、ジャイアンが誰かにいじめられたとき、のび太が「僕がいじめられるから、ジャイアンを助ける!」と言っているようなもんだ。

ニュースでもそんな感じだったのだが、これでは、「あり得ない」思いばかりが先行し、集団的自衛権を容認している人々からは「これだから頭の中お花畑は」と言われ、議論にならない。


どんな政治的な動きにも、賛成、反対、棄権…、といろいろと立場がある。
ある立場にたつのであれば、他の立場から一定の理解が得られる意見は出せなければ意味がない。

そこで少し考えてみた。

大長編ドラえもんでは、よくジャイアンがのび太を助ける。
そんなとき、助けられたのび太は、最終的に窮地に陥るメンバーを、機転や勇気で救い、フィナーレへと向かう。

つまり、ドラえもんの中でも、強いジャイアンに助けられているのび太。そしてそのジャイアンが攻撃されて、のび太が助けるという場面があるわけだ。

これは、強大なアメリカが日本を助けており、そのアメリカが攻撃されたから、日本はアメリカの敵を攻撃する。という図式と当てはまるのだと思う。


…しかし、ここで忘れてはならないのは、大長編ドラえもんで、ジャイアンが攻撃されているとき、ほとんどの場合、「のび太も危機に瀕している」と言うことだ。
つまり、ジャイアンの敵は、すでにのび太の敵である訳だ。

とすればこれは、のび太が「『自分』やジャイアンがやられるから」ジャイアンを助ける訳であって、決して、「ジャイアンを助けないと『自分が危なくなる』」訳ではない。

つまり、日本が未だ攻撃されていない状態でアメリカが攻撃される際に、「アメリカが攻撃されると『日本が危ない』から、アメリカを助ける」という集団的自衛とは意味が違うのではないかと感じる。


集団的自衛権にいったいどんな意味があるのか。

たとえば、先の大長編ドラえもんのようなジャイアンとのび太の関係で考えれば、自分も攻撃されることが明白な訳だから、個別的な自衛権だけで十分と言うことになる。


それなら、「日本が攻撃される可能性が低いのに、アメリカが攻撃される」ことはあるのか。


…私はあり得ると感じている。
それこそ、9・11テロはそうだっただろう。

あくまで彼らの標的はアメリカであり、それをわかっていた国連加盟各国はアメリカのアフガン侵攻、イラク侵攻を否定した。

にもかかわらず、主要国でアメリカを支援したのは、日本。


これは、日本国民を危険に巻き込む行為だったのではないだろうか。




また「日本がアメリカを支援しなければ日本が危なくなるケース」を考えてみたい。

たとえば「アメリカの次は日本だ!」と、標榜するある集団が、アメリカを攻撃する場合。
これもないわけではないのだと思う。
アメリカが「ならず者国家」と指定した国々は、そんなニュアンスをもって日本に紹介された。

あるいは、「アメリカ」が、日本を非難する。
これはあり得そうだ。
それこそ湾岸戦争は、イラクを攻撃する多国籍軍(=アメリカ)の圧力に負け、自衛隊を海外へ派遣せざるを得なくなった。

おそらくアメリカは、自国が危なくなれば、日米同盟を盾に日本を非難し、日本を自分の側へ引き込むのだろう。


ほかにもケースはあるのかもしれないが、とりあえず、この二点について考察してみる。
先のケースでは、すでにアメリカと日本を攻撃すると標榜している集団をそうていしている。
北朝鮮だろうか?中国だろうか?
それとも、ロシア?あるいは韓国?

いずれにしても、そんな表現をしている国はないと感じているし、実行した国など一つとしてない。
それは、今までアメリカが強大であったことや、なんだかんだ言っても他国を侵略しなかった日本の信頼があるからだろう。

あるいは、そんな軍事行動に出れば、この二国を取り巻く周囲の国々が黙っていないことを理解しているからだろう。

自分たちが行動すれば、ほぼ全世界を敵に回す、それをわかって行動できる国など、アメリカぐらいしかないんじゃないだろうか。

核保有国であれば、確かにアメリカと日本を同時に敵に回し戦うことはできるのかもしれないが、それは同時に核兵器の撃ち合いを引き起こすこととなり、自国のみにの繁栄を享受することは決してできない。

であれば、このケースを考えるのは非現実的に感じる。


問題は第二のケースだ。

…いままで日本は様々な局面でアメリカの圧力に屈してきた。
もっと言えば、この集団的自衛権の行使容認であっても、アメリカからの無言の圧力を感じた今の政府が勇み足をしているに過ぎないのではないかと感じる。


なぜ日本は、必要以上にアメリカに気を遣わねばならないのだろう。
TPP、在日米軍の思いやり予算、辺野古の基地、オスプレイの導入に、武器輸出三原則の変更。

もちろん何らかの日本の利益がある行為も含まれてはいるだろうが、どうしてここまでアメリカに従わなければならないのだろう。

そう話せば「憲法こそ、アメリカからの押しつけだ」という意見もある。
しかしその憲法に血を通わせ、国際社会に貢献し続けてきた戦後日本を作ってきたのは、紛れもなく我々の祖先である日本人たちであり、今の我々日本人なのだ。
そこに自信を持ってさえいれば、アメリカごときに従う必要性などみじんも感じないのだが、いかがだろうか。

いい加減、アメリカに妙に気を遣い続け、従い続ける日本から脱却し「アメリカはアメリカ、日本は日本。親しい友人として助け合いはするが、間違っていることは糺す」という姿勢がとれないものだろうか。
それぐらいしても間違いではないくらい、日本人は世界中で信頼を得ていると思うのだが…。




改めて集団的自衛権に話を戻そう。

何のために、集団的自衛権が必要なのか。


アメリカや、日本、その他多くの国々を攻撃する悪の集団に対抗するために必要なのか?
…そんなことはない。そんなときがもしも来たのであれば、法がなくても日本国民は支援する。

アメリカを助けるためだけに『無理をしてでも』集団的自衛権が必要なのか?
…これも間違っている。世界的にアメリカの行動が否定されたことなど、いくらでもあるはずだ。
ましてやそんな行動をとれば、日本国民が危険にさらされることに他ならない。



…以上のように、いま、集団的自衛権を容認する必要を感じないのが、私の考えだ。
あくまでこれらは私の予想であり、感想だ。途中からドラえもんから離れてしまったが、こんな考え方もできるのだと、私は思う。



(なお、すでに日本は自衛隊をもっており、これは憲法9条の解釈改憲に他ならず、今更集団的自衛権の解釈改憲を騒ぎ立てるほどではないという意見を目にしたこともある。これはその当時に行われた警察予備隊→自衛隊発足までの流れで行われてきた議論と、なし崩し的に容認させてきた今までの政府の姿勢を無視している。この部分についても書きたいことはあるが、今は置いておく。)

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