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諏訪大社下社秋宮 社殿(幣拝殿 東宝殿 西宝殿) 御柱🙂😐😐古代祭祀の形式を今に残す御神木の櫟が祀られる神社

2020-08-21 20:00:00 | 神社仏閣
「長野県下諏訪町」の旧「中山道」旧「甲州街道」分岐に位置する「諏訪大社(すわたいしゃ)下社(しもしゃ)秋宮(あきみや)」は、「下社(しもしゃ)春宮(はるみや)」(諏訪郡下諏訪町)、「上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)」(諏訪市)、「上社(かみしゃ)前宮(まえみや)」(茅野市)とともに、四ヶ所に鎮まり坐す「諏訪大社」のひとつで、全国で一万社を超えると言われる「諏訪神社」の総本社だが、記録に示される「上社」「下社」の区分けは、1180(治承4)年が初出だという
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「お諏訪さま/諏訪大明神」とも呼ばれる「諏訪大社」は、「建御名方神(たけみなかたのかみ)」と、その妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」を主祭神とするが、その「建御名方神」は、「高天原(たかまがはら)」系の大和朝廷の神々「天津神(あまつかみ)」の主宰神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」に対する、我が国の古称「葦原中国(あしはらのなかつくに)」系の土着の神々「国津神(くにつかみ)」の代表的な神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」次子で、「高天原」から派遣されて「国譲り」を承諾させた「建御雷神(たけみかづちのかみ)/建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」への抵抗を発端に「州羽の海(すわのうみ)」に逃れることになったとされる。
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一方、「建御雷神/建御雷之男神」にすぐに服従したと言われる兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」はここ「下社」で合祀されるが、大和朝廷との縁は深く、神武天皇の岳父となり、皇室の守護神として祀られているという出雲譜系の神だ。
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また、ここ「下社」の最高位の神官「大祝(おおほうり)」は、皇族を祖先とする氏族「皇別(こうべつ)」の「科野国造(しなぬのくにのみやつこ)」後裔と言われる「金刺(かなさし)氏」が務めたが、「上社」と「下社」の対立は続き、戦国時代の1518(永正15)年「上社大祝」の「諏訪頼満(すわ よりみつ)」(1473/文明5年~1540/天文8年)によって、断絶に至ったと伝わる。
 ❖ 幣拝殿  参詣者が、神前に奉献する「幣帛(へいはく)」を捧げる社殿「幣殿(へいでん)」と、拝礼を行うための社殿「拝殿(はいでん)」が、一棟の楼門形式「二重楼門造り」になった「幣拝殿」を中央に、「右片拝殿」「左片拝殿」を並べた祭祀と拝礼のための「下社」独自の様式の建物が「神楽殿」奥にある。
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地元大工が、同じ図面で請負い、流派の面目をかけて競い合ったと語り継がれる「下社秋宮」と「下社春宮」の「幣拝殿」は、いずれも1983(昭和58)年に、国の重要文化財に指定されている。ここ「秋宮」は、「諏訪郡桑原村(現在の諏訪市)」生まれの立川流初代「立川和四郎(たてかわわしろう)富棟(とみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)を棟梁に、1777(安永6)年から1781(安永10)年にかけて造営したという。建物全体が「富棟」の発想による華麗な彫刻で飾られた見事な社殿だ。「春宮」は、「諏訪郡普門寺村(現在の諏訪市)」生まれの大隅流「柴宮長左衛門矩重(のりしげ)」(1747/延享4年~1800/寛政12年)により、1780(安永9)年に完成したという。
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「諏訪大社」は「諏訪造り」と言われる神霊を安置する社殿「本殿(ほんでん)」のない社殿造りだが、切妻造りの「左右片拝殿」吹放ちの正面から、背面に入る格子窓越しの奥に、「本殿」にあたる社殿といわれる二つの「宝殿」を目にすることができる。一方に納められた「神輿(みこし/しんよ)」は、6年ごとに遷座するという。
 ❖東宝殿 西宝殿  信濃国一之宮「諏訪大社」は、「大国主神」次子「建御名方神」と、その妃神「八坂刀賣神」が主祭神で、「下社」は「八坂刀賣神」を祀り、後に「八重事代主神」が配祀されたという。「大国主神」長子「八重事代主神」は出雲系の神だが、娘「媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)」(「古事記」では「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」)が初代皇后で、「神武天皇」からは岳父になるという大和朝廷との縁が深い神だ。
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祭神は半年毎に遷座され、「秋宮」から「春宮」へ遷座する「遷座祭(せんざさい)」は2月1日に、「春宮」から「秋宮」へ遷座する「御舟祭(おふねまつり)」は8月1日に行われる
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「本殿」を持たない「諏訪大社」で「本殿」に相当する社殿の「宝殿」は、左右「片拝殿」から格子越しに拝観することができる。「拝殿」奥の神明造りで二殿並ぶ建物が「宝殿」で、新しい方の建物を「神殿」、古い方の建物を「権殿」と呼び、寅年と申年に旧殿を建て直して新殿への遷座祭を行うという。
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さらに「宝殿」奥が、「御神座相殿」と言われる古代祭祀の形式を今に残す御神体である「御神木」の櫟(「春宮」は杉)が祀られている
 ❖ 御柱  正式には「式年造営御柱大祭」といい、日本三大奇祭のひとつとされる「御柱祭」は、寅と申の年に樅の大木を「御柱」として伐り出し、氏子が各地区分担して二社四宮(「上社本宮」「上社前宮」「下社秋宮」「下社春宮」)へそれぞれ4本ずつ曳行し、社殿の四隅に建てる「諏訪大社」最大の行事だ。
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起源については諸説あるが、平安時代の桓武天皇の時代(781/天応元年~806/延暦25年)の「御柱祭」の記録が残されているという。縄文時代の日本海が、大陸と列島の文化交流に大きな役割を果たし、生まれた山陰から北陸にかけての「日本海文化圏」で、核をなした「出雲」の神々との系譜から、「日本海文化圏」の巨木信仰が、「諏訪大社」に繋がったという説もあるという。
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「下社」の「御柱祭」は、3年前から御用材選定が始まり、「八島高原」近くの「東俣」から曳き出す4月10日前後の「山出し」に次いで、5月10日前後に「里曳き」が行われるが、見ごたえは何と言っても「男見るなら 七年に一度 諏訪の木落し」と言われる最大斜度約45度、長さ約100mの急坂「木落し坂」を、男たちが「御柱」に跨ったまま下る圧巻の「木落し」だろう。「平成二十八丙申年」の次回は「令和四壬寅年」の開催になる。

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2 コメント

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Unknown (mrsaraie)
2020-09-12 17:54:43
諏訪の木落しの現場、見学に行きました。
上から眺めると目が眩むような高さでした。
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Unknown (yamakiya)
2020-09-13 18:32:21
奇祭「御柱祭」の衝撃は、「木落し」に始まりますね。
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