小さな旅を愉しむための情報PLUS

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2022-01-01 18:00:00 | 神社仏閣
昨年末、初詣への準備が進む「諏訪大社」四社を、巡りました。
諏訪大社上社本宮 幣拝殿
諏訪大社上社前宮 本殿

諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社春宮 神楽殿

諏訪市「上社本宮(かみしゃ ほんみや)」と茅野市「上社前宮(かみしゃ まえみや)」、下諏訪町「下社秋宮(しもしゃ あきみや)」、下諏訪町「下社春宮(しもしゃ はるみや)」の四ヶ所に境内をもち、軍神・農耕神・狩猟神「お諏訪さま/諏訪大明神」として信仰される「諏訪大社(すわたいしゃ)」は、全国に一万社を超えるという「諏訪神社」の総本社だ。「建御名方神(たけみなかたのかみ)」とその妃神「八坂刀賣神(やさかとめのかみ)」を主祭神とし、旧社格「官幣大社」で神社本庁の「別表神社」だが、記録に示される「上社」「下社」の区分けは、1180(治承4)年が初出だという。
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「建御名方神」は、「高天原(たかまがはら)」系の大和朝廷の神々「天津神(あまつかみ)」の主宰神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」に対し、我が国の古称「葦原中国(あしはらのなかつくに)」系の土着の神々「国津神(くにつかみ)」の代表的な神「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の次子で、「高天原」から派遣されて「国譲り」を承諾させた「建御雷神(たけみかづちのかみ)/建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)」への抵抗を発端に「州羽の海(すわのうみ)」に逃れることになったとされる。
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一方、「建御雷神/建御雷之男神」にすぐに服従したと言われる兄神「八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)」は「下社」で合祀されるが、大和朝廷との縁は深く、娘「媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)」(「古事記」では「比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)」)が初代皇后で神武天皇の岳父となり、皇室の守護神として祀られているという出雲系譜の神だ。
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「国津神」の主宰神「大国主神」次子「建御名方神」は、「建御雷之男神」との「力競べ」に敗れて、「州羽の海」に逃れたが、進出による狩猟系先住民族との争いに勝利し、出雲系稲作民族を率いる「建御名方神」子孫「諏訪氏(後に『諏方氏』)」が、「諏訪大明神」の「依代(よりしろ)」として現人神の地位「大祝(おおほうり)」に就いて諏訪地方に君臨したとされる。世襲は1871(明治4)年の「太政官布告」による神職の世襲制度が廃止されるまで続いたという。
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「下社」神官の最高位「大祝」は、皇族を祖先とする氏族「皇別(こうべつ)」の「科野国造(しなぬのくにのみやつこ)」後裔と言われる「金刺(かなさし)氏」が務めたが、「上社」と「下社」の対立は続き、戦国時代の1518(永正15)年「上社大祝」の「諏訪頼満(すわ よりみつ)」(1473/文明5年~1540/天文8年)によって、断絶に至ったと伝わる。
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「諏訪大社」は「上社前宮」以外に神霊を安置する社殿「本殿(ほんでん)」がなく、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで、社殿の四隅に「御柱」が建つ「諏訪造り」という独自様式で、「上社本宮」は「守屋山」を御神体、「下社秋宮」は「櫟」、「下社春宮」は「杉」を御神木としている。「本殿」にあたる社殿といわれる二つの「宝殿」の一方に納められた「神輿(みこし/しんよ)」は、6年ごとに遷座するという。
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なお、「下社」の祭神は半年毎に遷座される。「秋宮」から「春宮」へ遷座する「遷座祭(せんざさい)」は2月1日に、「春宮」から「秋宮」へ遷座する「御舟祭(おふねまつり)」は8月1日に行われる。
諏訪大社上社本宮 勅願殿
諏訪大社上社本宮 拝所
諏訪大社上社本宮 幣拝殿
 ❖ 諏訪大社 上社本宮 
「上社本宮」は「守屋山(もりやさん)」を御神体とし、「幣拝殿」と「片拝殿」のみで「本殿」がなく、社殿の四隅に「御柱」が建つ「諏訪造り」という独自様式だが、1964(昭和39)年に指定を受けた「長野県天然記念物」の落葉樹自然林「社叢」に相応しい質実森厳な趣をもって、その姿を見せてくれる。
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「拝所」は、1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されているが、一般参詣者が進むことのできる最終の社殿で、ここから恒例祭典や重要神事の場である「幣拝殿」への参拝をおこなう
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現在の「幣拝殿」は、1835(天保6)年に左右「片拝殿」「脇片拝殿」とともに、宮大工「二代目立川四郎富昌(たてかわ わしろう とみまさ)」(1782/天明2年~1856/安政3年)と地元の宮大工「原五左衛門親成」によって上棟されたという。1983(昭和58)年12月26日に、国の「重要文化財」に指定されている。
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御神体「守屋山」に向かって建てられた「勅願殿(ちょくがんでん)」は、1690(元禄3)年の建立とも、1847(弘化4)年の再建ともいわれるが、2016(平成28)年に国の「重要文化財指定」を受けた社殿だ。「勅願」とは「勅命による祈願」「天皇の祈願」が本来の意味だが、ここ「諏訪大社上社本宮」では、古く「祈祷所」と記された祈祷をおこなう場所で、「幣拝殿」が「諏訪大社」の恒例祭典や重要神事を斎いおこなう場所であるのに対し、「勅願殿」は個人私事の祈祷をおこなう場所だったという。
諏訪大社上社前宮 御神燈
諏訪大社上社前宮 拝殿
諏訪大社上社前宮 拝殿
諏訪大社上社前宮 内御玉殿
 ❖ 諏訪大社 上社前宮 
「諏訪大社 上社前宮」は、主祭神の「建御名方神」とその妃神「八坂刀賣神」が、最初に居を構えた「『本宮』以前にあった宮」で、諏訪信仰発祥の地と伝えられている。
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 「諏訪大社」の中で唯一「上社前宮」だけが持つ「本殿」は、主祭神「建御名方神」とその妃神「八坂刀賣神」が鎮まり坐すと伝えられる「御神陵」を奥に控える。「拝殿(はいでん)」は、1932(昭和7)年に「伊勢神宮」から下賜された材で造営されたというが、質実端厳な「上社前宮」の社殿にあって、聊かの華を感じさせる社殿だ。
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「内御玉殿(うちみたまでん)」は、1932(昭和7)年に現在の社殿に改築されるまで1585(天正13)年造営の社殿で、「諏訪大明神」の祖霊がやどるとする「神宝」が安置されていた「上社」では最も古い建物だったという。中世まで強大力な権力で君臨し諏訪地方を支配した神職「大祝」が、神事にあたり「内御玉殿」を開いて、神宝「弥栄の鈴(やさかのすず)」「眞澄の鏡(ますみのかがみ)」「御鞍轡(みくらくつわ)」を人々に示し、現身の「諏訪明神」そのものとして神威を示威して、「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体をなす」と言わしめたと伝えられている。
諏訪大社下社秋宮 さざれ石
諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社秋宮 神楽殿
諏訪大社下社秋宮 幣拝殿
諏訪大社下社秋宮 幣拝殿
 ❖ 諏訪大社 下社秋宮 / 春宮 
JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩約15分、「長野県下諏訪町」の旧「中山道」と旧「甲州街道」分岐に、「下社秋宮」は鎮まり坐している。
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「下社秋宮」から徒歩約20分、西に「砥川(とがわ)」が流れる「下諏訪町大門」で、「下社」最初の遷座地とされる地に鎮まるのが「下社春宮」だ。
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「神楽殿(かぐらでん)」はその名称のとおり雅楽や舞を奉納するほか祈願も行う建物だ。「下社秋宮」の「神楽殿」は、宮大工「立川和四郎二代目富昌」によって、1835(天保6)年に上棟され、1983(昭和58)年に国の「重要文化財」指定を受けている。一方、「下社春宮」の「神楽殿」は、天和年間(1681~1684)の造営といわれるが、その後修改築が繰り返され、1936(昭和11)年に大改修されて現在に至っているという。同一の図面で建築されたというが、「下社秋宮」より小ぶりの建物で、施されている彫刻も異なっている。
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「幣拝殿」は、地元宮大工の立川流初代「立川和四郎(たてかわわしろう)富棟(とみむね)」(1744/延享元年~1807/文化4年)が「秋宮」を、大隅流「柴宮/伊藤長左衛門矩重(のりしげ)」(1747/延享4年~1800/寛政12年)が「春宮」を、同じ図面で請け負って、技を競ったといわれる。
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その「幣拝殿」は、参詣者が神前に奉献する「幣帛(へいはく)」を捧げる社殿「幣殿(へいでん)」と、拝礼を行うための社殿「拝殿」が、一棟の楼門形式「二重楼門造り」になった「幣拝殿」を中央に、「右片拝殿」「左片拝殿」を並べた祭祀と拝礼のための「下社」独自の様式の建物だ。「下社秋宮」と「下社春宮」の「幣拝殿」は、いずれも1983(昭和58)年に、国の重要文化財に指定されている。
諏訪大社下社春宮 大鳥居
諏訪大社下社春宮 神楽殿
諏訪大社下社春宮 幣拝殿
諏訪大社下社春宮 幣拝殿

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