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光前寺😐😐😐「応天門の変」と同時代の860(貞観2)年に開基されたという猿神退治「早太郎伝説」の古刹

2020-07-25 15:08:20 | 神社仏閣



中央自動車道「駒ヶ根インターチェンジ」から車約3分、中央アルプス山麓に広がる「宝積山(ほうしゃくざん)無動院(むどういん)光前寺(こうぜんじ)」は、天台宗信濃五山に数えられた比叡山延暦寺末だ。本尊は「大日如来(だいにちにょらい)」の化身とも言われる「不動明王(ふどうみょうおう)」で、天台宗「別格本山」の寺院だともいう。
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四大絵巻物とされる国宝「伴大納言絵詞」の題材で、大伴氏没落と藤原氏摂関政治確立のきっかけとなった事件とされる866(貞観8)年の「応天門の変」と同時代の860(貞観2)年に、第3代天台座主「円仁(えんにん)慈覚大師(じかくだいし)」の弟子「本聖上人(ほんじょうしょうにん)」によって開基されたとする。時代は、905(延喜5)年奏上の「古今和歌集」や935(承平5)年頃の成立とされる「土佐日記」、あるいは10世紀半ばまでの成立とされる「竹取物語」などから遡ること半世紀から1世紀前のことだ。
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その古刹を舞台に語り継がれる「早太郎(はやたろう)伝説」は、かつて「市原悦子」「常田富士男」の語りによりTBS系列で放映された「まんが日本昔ばなし」でアニメ化されたという「猿神退治伝説」で、遠州府中(現在の静岡県磐田市)の人身御供を要求する妖怪を退治する説話だ。平安時代後期「天永」から「保安」年間(1110~1124年)に成立とされる「今昔物語集」の「巻二十六 美作國神依猟師謀止生贄語」や鎌倉時代「建保」から「承久」年間(1213~1222年)の成立とされる「宇治拾遺物語」の「巻第十ノ六 吾妻人生贄を止むる事」などに収録され、各地でも語り継がれる説話のご当地版だ。なお「早太郎」を、駒ヶ根では「疾風太郎(しっぷうたろう)」 磐田では「悉平太郎(しっぺいたろう)」とも呼んでいるという。
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妖怪との戦いで息絶えたとされる光前寺で飼われていた山犬「早太郎」の供養に、「一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)」が奉納したとする「大般若心経」が、寺宝として現在に伝わるといい、本堂脇には墓として「早太郎」が祀られる
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格別の情趣を湛えているが訪問者の限られた以前の山寺から、現在は春の桜や秋の紅葉のライトアップに取り組む観光に傾斜した分かり易い姿に変貌した同寺ではあるが、機会あれば訪ねたい鄙なる寺院のひとつだろう。
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〈早太郎伝説の梗概〉 およそ700年前のこと、遠江国見附村(現在の静岡県磐田市)矢奈比賣神社(見付神社)の毎年の祭りでは、白羽の矢が立った村の娘を、人身御供として神に捧げねばならなかった。折しも通りかかった旅僧「一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)」は、神が人身御供を要求することを訝り、その正体が信濃国「早太郎」を忌避する妖怪であることを突き止めて、村人を救うために信濃国へ向かい「早太郎」を探し求めたという。光前寺で飼われている山犬が「早太郎」であると探しあてると、さっそく借り受けて見附村へと取って返した。再びやって来た祭りの夜、村の娘の代わりに長持ちに入って妖怪の前に捧げられた「早太郎」は、躍り出て激しい戦いの末に妖怪の老狒々を退治したという。しかし、戦いで深手を負い絶え絶えとなった「早太郎」は、光前寺へ帰り着くと、和上に一声吠えて息絶えてしまった。




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