【祖父母の畑仕事】
もう祖父母も亡くなり、その畑もないのですが元気な頃は、そうですねえ~、約400~500坪程度土地を借り畑を耕しておりました。今と異なり耕すのは全て鍬で手作業です。因みに農家ではないです。
年金での老後の趣味というか食材はある程度自給自足といった感じでした。もう畑仕事が親より上手で毎年豊作なんですよ。どこで仕事覚えたんでしょうか?季節ものの野菜は、収穫時期にご近所におすそ分けです。白菜なんて豊作だと一家で食べきれないのです。もう毎晩鍋にしても炒めても漬物にしても余るのです。
思い返せば幼児期の畑の面積ですから今よりは広く感じたのでしょうけれども、芋ずる式とは良く言ったもので、ジャガイモ、サツマイモ、ずるずると一本抜きです!幼稚園の芋ほり大会は初めてのフリ状態です。子供らしくしなきゃいかんかね?って感じでした。
まあイモや玉ねぎは保存がきくので食料不足にはなりませんでしたが肉と魚には飢えていました。
夏「おばあちゃん!おやつ~!!」って言うと、「畑からトウモロコシもいできなさい蒸かしてあげるから」だって。子供ながらに虫の付いてない甘いのを探すのは得意でした。ほぼ無農薬ですから虫は付きます。でも虫が付くほど美味しい実でした。夏休みの水分補給は畑のキュウリです。缶ジュースはあり得ません!
基本的に砂糖菓子が無い家なんです。或る日キュウリをもいで来いと言われ大きなのを収穫したら「馬鹿者!それは種用だ!」と、叱られました。因みに農薬の様に見える白いのは、キュウリが新鮮な証です。
秋は、庭の柿の木の「干し柿」(渋柿なので)サツマイモの「蒸かし芋」に「干し芋」です。特に「干し柿」「干し芋」は冬の保存食でもあり、カチコチになるまで乾燥させます。子供ながらに顎はよく使いました。祖母が言うには、「これは東京では高級菓子なんだぞ~♪」 だそうです。粉がふいたら食べごろなんですが。
他に秋の味覚は栗でしょうか。「栗ご飯」「栗」のおやつ。栗の木は生家にもあったのですが、他に山栗も拾いに行ってました。雑木林も多かったですし、のんびりした時代でした。幼児期の自分は、もっぱら松ぼっくりで遊んでましたが。(;^ω^)
幼少期は何処の柿の木が甘いか渋いか覚えてしまいました。ひもじさに耐えかね田んぼにポツンの柿を頂いたこともありましたでしょうか。平和な時代でした。その柿の木も今は区画整理で無くなりましたが。
それから遠い親戚に農家がありまして、冬イチゴやっていたのです。当時、春のGWの頃には商売にもならないらしく、かといって養蜂もあるのでビニールハウスはそのままなんです。ご存知の方も多いようにミツバチの御世話にならないと農作物は成立しないのが大半です。それで熟したイチゴ、ビニールハウス数棟ごとまるまる食べ放題です。ぷっくりと大きく甘くて酸味がほのかにあって。それほどブランド化されていない頃のイチゴだったと記憶しています。
親はジャム用に、せっせと収穫です。いくら完熟イチゴ食べ放題っても、1時間で飽きちゃうんです。ゲップって感じ。で、親は煮沸消毒で瓶詰のジャムの瓶大量生産で、パンだと何時までもイチゴ100%のジャムが続くのです。ずーっとですよ。無くなるまで。
農家には井戸がありまして、でも「となりのトトロ」と異なるのは、蛇口に綿の袋が被せてあるんです。どうも砂も吸い込んでしまうらしいです。映画のように水が冷たくなるまでキコキコやります。懐かしいな~。
【今となっては】
ただし、残念な事に正直言ってイモとか、イチゴとか一生分食べつくしてしまい、今は食べたくもありません。柿もトウモロコシもです。見るのも嫌です。イチゴなんて女性に人気ですが、なんとなく取り合いになった場合、「どーぞ」と譲ります。女性は「ありがとう!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」です。
これを姐上にいうと、それは贅沢なんよ。って言われてしまうのですが逆に言うと自家製の食材が多く、外食の楽しみをあまり知らない昭和でも、あの時代珍しい子供が出来上がってしまったのです。ご近所さんは美味しい物食べてたのだろうか???
ただ今でも懐かしいのが、祖母のヨモギ餅です。これは家の直ぐ近くの田んぼにヨモギを摘みに出かけるのです。餅つき機は電化製品で当時からありまして、つきたては軟らかく美味しいのです。数日後にはカチカチですが。
今はソーラー発電や住宅街になってしまい、ヨモギの収穫は難しいです。他所でも除草剤を撒いてしまうのでダメです。
親は、祖母のヨモギ餅は受け継がなかったので、あの味は懐かしいのです。幼少期の味ですからね、多分死ぬまで忘れないでしょう。もう食べられませんし、買ってまで食べようとも思わない思い出の味です。
幼児期、水あめをコッソリ食べていたのですが、祖母が補充ししていたのには驚きました。水あめも手作りなんです!お鍋でコトコトです。Σ(・ω・ノ)ノ!それから味噌もやまぽん家では自家製が伝統です。市販品は一人暮らしの時購入した程度です。
たいていの物は手作りの時代だったんですね~。夕食時うどんの薬味でネギが足りないと、畑からネギ抜いてきて~だって。これも昭和でしたね。(他所の家ではあまり聞かない話でしょうか?)
飽食の時代と言われ云十年、このままいくと先進国も途上国も食料不足だそうです。現に家では肉魚が食卓から減ってますねえ。それでもうイモは食べたくないなんて贅沢だ!でしょうか。うーん。質素になりましたけど今サツマイモがピンチだそうで、本当に食べられなくなるのでしょうか???
【或る日の姐上】
梨ってこの辺じゃ美味しくないんだよねえ~。八百屋さんでも、果物屋さんでも、スーパーでもってぶつくさ言うんですよ。
我が家では砂糖菓子はNGでも果物はある程度OKでしたから味は良く覚えているんです。「おらが村の梨食べる?」「これが食べれなかったら他の梨もダメだと思うよ」と、強気の発言です。自分でも物心ついた時から食べていたので自慢の梨です。雑木林の多かった頃はカブトムシやクワガタがネットに張り付くくらい甘い香りです。
時期が来て送ってみました。普段お世話になっているので。
姐:やまぽんちぇんちぇえ~!!美味しいの有り難う~(⋈◍>◡<◍)。✧♡
や:そうか、よかったのう。
姐:ご近所にもおすそ分けしました。
や:それは姐上の名前で???
姐:んだ。
や:それは違う~。やまぽんの手柄を自分の手柄に~。
まあ、そんなこともありましたが幼少期の味の記憶は確かなようです。姐はこの一件を思い出すと「そろそろ梨食べたいわねえ~」「一袋5つで云百円は高いよね~」だとか催促です。(;^ω^)
近年では、「そろそろ豊水第二弾かちら?」だってさ。
【親の畑仕事】
これは祖父母に比べると数段落ちるのですが、父のキュウリ作りはネットで調べたのかキチンとしています。
他にはミニトマトなんて大豊作だと秋まで食べます。問題は完全無農薬なのに外の水道で軽く洗浄しないため虫がかなり台所に居座ってしまうのです。これも祖父母の家ではなかったことです。親は見えない!っていうんですよ。いくら水道代が高くなったっても雨水で野菜は洗わないでほしい。顕微鏡観察すると単細胞生物凄いんだから。
出来れば秋ナスにしてほしいとは贅沢でしょうか???買うと高いんです。
農業用の竹も取りにくいです。竹林が無いんです。昔はよく畑でトンボが止まってました。
秋と言えば、親は銀杏に胡桃です。こと銀杏は猛烈な臭いなのでうっかり近づくと大変です!ただ食べるには美味しいのですが美味しくなるまで手間がかかります。最後炒る時は破裂する場合もあります。
【そして何もなくなった】
今、家の周りの畑は無くなりつつあります。可能な限りの住宅地化です。ここまで街づくりが出来上がるのにザックリ半世紀以上でしょうか?つまりベッドタウンです。工業団地とか会社勤めは別の町です。
しかも狭い土地に建売です。この辺ではクルマ3台は駐車できないと後々困ります。それだけクルマ社会なんです。意外とあったのが個人所有の小型の耕運機です。貸し出されていた畑は、ほぼ戸建てになりました。高台の土地は高騰したのか田んぼの空き家を更地にするに至っています。土地不足のようです。空き家は増え続けているのですが土地が狭いと厳しいようです。
雲雀が子育てしていた麦畑も今は近所にありません。因みに田んぼは稲刈り直後から耕してしまいます。もっとも外で遊ぶ子供も見かけません。雑木林も無くなりカブトムシもクワガタもいません。近年散歩するごとに昆虫の減少が気になります。自宅からでもカエルの合唱は夏凄かったのですが今は聞こえません。
泥鰌もスーパーの奥で大きな樽に生きたまま販売されていたのも昭和まででしょうか?現代人は驚くかもしれませんがアレが朝の味噌汁にドンと入っていました。近年は田植え後の?除草剤が気になります。イナゴやバッタを見かけないのです。畑や田んぼには害虫かもしれませんがどこか歪んだ生態系に人間は生きている気がします。
小学生の頃、夏休み天高く黒い何かが雲のように大群です。良く見ると一個体ごと前進します。トンボの大群です。後にも先にもあの頃二度しか見たことがないです。オニヤンマもアゲハも子供の頃は大きく見えました。2021年夏、あまり見かけなかったな~。イトトンボも。
用水路のコンクリート化からうん十年。ザリガニも減りました。この辺でも田んぼに鮒やウナギがいたのですよ。鷺も本当にみかけなくなりました。ツバメも昆虫捕まえられるかしら?地球温暖化も問題かもしれませんが合わせて気になる生態系です。
でわでわ長々とお疲れ様でした。
本日はここまで。
もう祖父母も亡くなり、その畑もないのですが元気な頃は、そうですねえ~、約400~500坪程度土地を借り畑を耕しておりました。今と異なり耕すのは全て鍬で手作業です。因みに農家ではないです。
年金での老後の趣味というか食材はある程度自給自足といった感じでした。もう畑仕事が親より上手で毎年豊作なんですよ。どこで仕事覚えたんでしょうか?季節ものの野菜は、収穫時期にご近所におすそ分けです。白菜なんて豊作だと一家で食べきれないのです。もう毎晩鍋にしても炒めても漬物にしても余るのです。
思い返せば幼児期の畑の面積ですから今よりは広く感じたのでしょうけれども、芋ずる式とは良く言ったもので、ジャガイモ、サツマイモ、ずるずると一本抜きです!幼稚園の芋ほり大会は初めてのフリ状態です。子供らしくしなきゃいかんかね?って感じでした。
まあイモや玉ねぎは保存がきくので食料不足にはなりませんでしたが肉と魚には飢えていました。
夏「おばあちゃん!おやつ~!!」って言うと、「畑からトウモロコシもいできなさい蒸かしてあげるから」だって。子供ながらに虫の付いてない甘いのを探すのは得意でした。ほぼ無農薬ですから虫は付きます。でも虫が付くほど美味しい実でした。夏休みの水分補給は畑のキュウリです。缶ジュースはあり得ません!
基本的に砂糖菓子が無い家なんです。或る日キュウリをもいで来いと言われ大きなのを収穫したら「馬鹿者!それは種用だ!」と、叱られました。因みに農薬の様に見える白いのは、キュウリが新鮮な証です。
秋は、庭の柿の木の「干し柿」(渋柿なので)サツマイモの「蒸かし芋」に「干し芋」です。特に「干し柿」「干し芋」は冬の保存食でもあり、カチコチになるまで乾燥させます。子供ながらに顎はよく使いました。祖母が言うには、「これは東京では高級菓子なんだぞ~♪」 だそうです。粉がふいたら食べごろなんですが。
他に秋の味覚は栗でしょうか。「栗ご飯」「栗」のおやつ。栗の木は生家にもあったのですが、他に山栗も拾いに行ってました。雑木林も多かったですし、のんびりした時代でした。幼児期の自分は、もっぱら松ぼっくりで遊んでましたが。(;^ω^)
幼少期は何処の柿の木が甘いか渋いか覚えてしまいました。ひもじさに耐えかね田んぼにポツンの柿を頂いたこともありましたでしょうか。平和な時代でした。その柿の木も今は区画整理で無くなりましたが。
それから遠い親戚に農家がありまして、冬イチゴやっていたのです。当時、春のGWの頃には商売にもならないらしく、かといって養蜂もあるのでビニールハウスはそのままなんです。ご存知の方も多いようにミツバチの御世話にならないと農作物は成立しないのが大半です。それで熟したイチゴ、ビニールハウス数棟ごとまるまる食べ放題です。ぷっくりと大きく甘くて酸味がほのかにあって。それほどブランド化されていない頃のイチゴだったと記憶しています。
親はジャム用に、せっせと収穫です。いくら完熟イチゴ食べ放題っても、1時間で飽きちゃうんです。ゲップって感じ。で、親は煮沸消毒で瓶詰のジャムの瓶大量生産で、パンだと何時までもイチゴ100%のジャムが続くのです。ずーっとですよ。無くなるまで。
農家には井戸がありまして、でも「となりのトトロ」と異なるのは、蛇口に綿の袋が被せてあるんです。どうも砂も吸い込んでしまうらしいです。映画のように水が冷たくなるまでキコキコやります。懐かしいな~。
【今となっては】
ただし、残念な事に正直言ってイモとか、イチゴとか一生分食べつくしてしまい、今は食べたくもありません。柿もトウモロコシもです。見るのも嫌です。イチゴなんて女性に人気ですが、なんとなく取り合いになった場合、「どーぞ」と譲ります。女性は「ありがとう!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」です。
これを姐上にいうと、それは贅沢なんよ。って言われてしまうのですが逆に言うと自家製の食材が多く、外食の楽しみをあまり知らない昭和でも、あの時代珍しい子供が出来上がってしまったのです。ご近所さんは美味しい物食べてたのだろうか???
ただ今でも懐かしいのが、祖母のヨモギ餅です。これは家の直ぐ近くの田んぼにヨモギを摘みに出かけるのです。餅つき機は電化製品で当時からありまして、つきたては軟らかく美味しいのです。数日後にはカチカチですが。
今はソーラー発電や住宅街になってしまい、ヨモギの収穫は難しいです。他所でも除草剤を撒いてしまうのでダメです。
親は、祖母のヨモギ餅は受け継がなかったので、あの味は懐かしいのです。幼少期の味ですからね、多分死ぬまで忘れないでしょう。もう食べられませんし、買ってまで食べようとも思わない思い出の味です。
幼児期、水あめをコッソリ食べていたのですが、祖母が補充ししていたのには驚きました。水あめも手作りなんです!お鍋でコトコトです。Σ(・ω・ノ)ノ!それから味噌もやまぽん家では自家製が伝統です。市販品は一人暮らしの時購入した程度です。
たいていの物は手作りの時代だったんですね~。夕食時うどんの薬味でネギが足りないと、畑からネギ抜いてきて~だって。これも昭和でしたね。(他所の家ではあまり聞かない話でしょうか?)
飽食の時代と言われ云十年、このままいくと先進国も途上国も食料不足だそうです。現に家では肉魚が食卓から減ってますねえ。それでもうイモは食べたくないなんて贅沢だ!でしょうか。うーん。質素になりましたけど今サツマイモがピンチだそうで、本当に食べられなくなるのでしょうか???
【或る日の姐上】
梨ってこの辺じゃ美味しくないんだよねえ~。八百屋さんでも、果物屋さんでも、スーパーでもってぶつくさ言うんですよ。
我が家では砂糖菓子はNGでも果物はある程度OKでしたから味は良く覚えているんです。「おらが村の梨食べる?」「これが食べれなかったら他の梨もダメだと思うよ」と、強気の発言です。自分でも物心ついた時から食べていたので自慢の梨です。雑木林の多かった頃はカブトムシやクワガタがネットに張り付くくらい甘い香りです。
時期が来て送ってみました。普段お世話になっているので。
姐:やまぽんちぇんちぇえ~!!美味しいの有り難う~(⋈◍>◡<◍)。✧♡
や:そうか、よかったのう。
姐:ご近所にもおすそ分けしました。
や:それは姐上の名前で???
姐:んだ。
や:それは違う~。やまぽんの手柄を自分の手柄に~。
まあ、そんなこともありましたが幼少期の味の記憶は確かなようです。姐はこの一件を思い出すと「そろそろ梨食べたいわねえ~」「一袋5つで云百円は高いよね~」だとか催促です。(;^ω^)
近年では、「そろそろ豊水第二弾かちら?」だってさ。
【親の畑仕事】
これは祖父母に比べると数段落ちるのですが、父のキュウリ作りはネットで調べたのかキチンとしています。
他にはミニトマトなんて大豊作だと秋まで食べます。問題は完全無農薬なのに外の水道で軽く洗浄しないため虫がかなり台所に居座ってしまうのです。これも祖父母の家ではなかったことです。親は見えない!っていうんですよ。いくら水道代が高くなったっても雨水で野菜は洗わないでほしい。顕微鏡観察すると単細胞生物凄いんだから。
出来れば秋ナスにしてほしいとは贅沢でしょうか???買うと高いんです。
農業用の竹も取りにくいです。竹林が無いんです。昔はよく畑でトンボが止まってました。
秋と言えば、親は銀杏に胡桃です。こと銀杏は猛烈な臭いなのでうっかり近づくと大変です!ただ食べるには美味しいのですが美味しくなるまで手間がかかります。最後炒る時は破裂する場合もあります。
【そして何もなくなった】
今、家の周りの畑は無くなりつつあります。可能な限りの住宅地化です。ここまで街づくりが出来上がるのにザックリ半世紀以上でしょうか?つまりベッドタウンです。工業団地とか会社勤めは別の町です。
しかも狭い土地に建売です。この辺ではクルマ3台は駐車できないと後々困ります。それだけクルマ社会なんです。意外とあったのが個人所有の小型の耕運機です。貸し出されていた畑は、ほぼ戸建てになりました。高台の土地は高騰したのか田んぼの空き家を更地にするに至っています。土地不足のようです。空き家は増え続けているのですが土地が狭いと厳しいようです。
雲雀が子育てしていた麦畑も今は近所にありません。因みに田んぼは稲刈り直後から耕してしまいます。もっとも外で遊ぶ子供も見かけません。雑木林も無くなりカブトムシもクワガタもいません。近年散歩するごとに昆虫の減少が気になります。自宅からでもカエルの合唱は夏凄かったのですが今は聞こえません。
泥鰌もスーパーの奥で大きな樽に生きたまま販売されていたのも昭和まででしょうか?現代人は驚くかもしれませんがアレが朝の味噌汁にドンと入っていました。近年は田植え後の?除草剤が気になります。イナゴやバッタを見かけないのです。畑や田んぼには害虫かもしれませんがどこか歪んだ生態系に人間は生きている気がします。
小学生の頃、夏休み天高く黒い何かが雲のように大群です。良く見ると一個体ごと前進します。トンボの大群です。後にも先にもあの頃二度しか見たことがないです。オニヤンマもアゲハも子供の頃は大きく見えました。2021年夏、あまり見かけなかったな~。イトトンボも。
用水路のコンクリート化からうん十年。ザリガニも減りました。この辺でも田んぼに鮒やウナギがいたのですよ。鷺も本当にみかけなくなりました。ツバメも昆虫捕まえられるかしら?地球温暖化も問題かもしれませんが合わせて気になる生態系です。
でわでわ長々とお疲れ様でした。
本日はここまで。