3月11日
「今年もこの日が訪れた」。被災者ではない私たちは、このような表現になるのだろう。
テレビでは、3.11を特集した番組が放映されているが、明日からはどうなのでしょうか?
被災され、3年経った今日であっても不自由な生活を強いられている方々にとっては、年に一度の3.11では無い。
将来への不安を背負い、進まない復興~あの日から時間が進んでいないのかもしれない。
被災者で無い私たちは、何事もなかったかのように平穏な日常を過ごしている。
あの時、何が起こったのか・・・・
3月12日、ポストを見ると新聞が届いていた。「山形新聞」の紙面ではあるが、印刷は「新潟日報」で行われ
各戸に配達された。新聞社の報道機関としての責任を果たす姿勢に感激した。
こんな事になるとは、だれも想像しなかった。
ガソリンが無いのだ・・・・何時間も並んで給油。並んでも絶対に給油できるとは限らない。
大阪、福井、富山・・・・遠方のナンバーを付けたタンクローリーがスタンドに到着した時は、涙が出た。
元売り、運送会社~みんな努力してくれた。
震災翌日は、停電のため給油機が手動でしか使用できなかった。
1台10リッターの限定。
重たい手動ハンドルを自分でクルクルまわして給油した。スタンドの人からは、腕が痛くなりもうムリと言われた。
ガソリン不足で郵便の収集もポストが限定された。
このポストから半郷郵便局まで車で10分・・・・
ゴミの収集もアウト。
みんなが不自由を受け入れ協力し合った。
今はどうだろうか・・・・・
たった3年なのに あの時の事を忘れかけている。
決して忘れてはならない。
上手く説明できませんが、以前より日本人として
生まれたことに誇りを持つようになりました(^^
当日の2時46分は勤務先で迎えましたが、周りの皆は
誰も何も言わずとも黙とう捧げていました。
私の職場では、始業時に黙祷を行い
14時46分からNHKの復興応援ソング、
花が咲くを館内に静かに流しました。
3年が筋目のような事を言う人もいますが、
そんな筋目は無いと思います。